東浩紀×市川真人トークショー 2014年9月29日(月) 於早稲田大学大隈記念講堂

記憶を頼りに思い出せるだけを書く。間違ってるかもしれないし前後の文脈が抜け落ちてるので注意。順もバラバラ。

  

東「題名に『硬直化するフクシマ』とあるが福島の話はしないので、それを聞きに来た人、社会運動系?の人には申し訳ない」

「社会運動系の人はひじょうに狭い範囲の話をしないと納得しない。質疑応答でもかなり糾弾的である」

「最近興味あることといえば、在特会とか?(笑)」

在特会の人たちがぼくに対して怒るのはわかる。カウンターの人たちからも怒られるっていうのは、単に縄張りに入ってこられたからだと思う。俺たちは今までここで頑張ってきた、お前は入ってくんなよみたいな。文芸誌とかでもそんなのばっかり。東がこの雑誌に書くなら俺は書かないとか」

 

市川「今日のテーマは作家としての東浩紀なので。まずはソルジェニーツィン試論について」

東「法政大学で講義していた柄谷行人の授業に潜っていた。授業が終わった後に、「俺はどうしていいかわからない」と相談したら「学食でも行くか」と誘われて学食に行った。しかし阪神タイガース?の話をするばかりで、ちょっと悔しかったし、こんなんじゃだめだ、何か持っていかないとと思ってソルジェニーツィン詩論を書いた。毎週木曜に授業があったが翌週は休みだった。原稿用紙を買ってきて手書きで2週間で書いた。40枚くらい」

市川「それ以前は何か書いてなかったの?」

東「全然何も。興味もなかった」

市川「習作みたいなものも?」

東「ノートに少し書いてたけど読むに堪えないもの。公表すべきでない。もう逸失してしまったけど。ノートに書いた方がサルベージはしやすい。昔(文豪みたいな何とかとかいうソフト)をWindows98でも使えますみたいなソフトを買ったがパッケージすら開封せずに今まで来た」

市川「東浩紀の小説について」

東「ぼくは文学からはもう随分離れてる。純文学という物にも興味が持てない。文学自体が力を失ってる。ゲンロンカフェのイベントで小説家を呼んでも全然人が来ない。奥泉光呼んでも十数人しか来ない。小説が新聞とかで過大評価されている。そして小説読みっていうのは金を持ってない。2000円払ってまで聞く期待をかけてないのかも。いつ結婚するのかなんて話を聞いてもしょうがない。金曜日にいとうせいこうが来るけど、いとうせいこうなんてかなり知名度高いけどほとんど人は来ないと思う。ゲンロンカフェを経営していると色々わかる」

市川「十数人の来場者で利益は出る?」

東「出ない。30人くらいじゃないと」

 

東「自分の小説について話すのは恥ずかしいからあまりやりたくない。完全な趣味としてやってる。なぜ小説を書くのかとか聞かれても困る。岩釣りが趣味の人になぜ岩場で魚を釣るのかと聞くようなもの」

市川「クリュセの魚はとてもよかった」

東「僕が小説でやっているのは、いわゆるセカイ系への返答」「小説を書くのは、特に時間の経過を書くのは苦手。伊坂幸太郎を読んでるとそこがとても自然でめちゃくちゃうまい」

市川「あずまんの小説は東浩紀がよく出てる。急に俯瞰的になったり、すごく集中?したり」

東「クォンタム・ファミリーズなんかも編集者の矢野さん?との関係があったから出せた、編集者が異動したら終わり」

 

早稲田文学の話で盛り上がってたがよくわからなかった

東「俺を早稲田文学から追い出して、あの人に巻頭に書いてもらえばいい。ぜひ大作を書いてもらいたい」

「自分が編集委員になったことで戦争になったりして迷惑をかけたくない、それなら最初から降りる」

「脅しだとか、権力を使って潰しに来たとか言われるのが嫌」

「あんたらは外部だと思って安心してツイッターなんかで絡んできているのかもしれないけど、いつ内部になるかわからないんだ!と言いたかったんだよ」

「いるんだよなー、東が書いてるなら俺は書かないって抗議してくる人が。雑誌の名前は出せないけど、宇野常寛からは実際に抗議が(編集側に?編集を通じて?)来た」

佐々木中なんかも絶対そういうことやりそうだと思う。あいつはそういう人間だと思う(笑)。これは僕が勝手に思ってるだけだからOK(笑)。そういう人間だって断定してるわけじゃない。僕の名前をはっきり出さないけど書いてる。僕のことをめちゃくちゃ批判して馬鹿にしている。東浩紀なら馬鹿にしてもいいという共通認識を持った人たち。東浩紀の弱いつながり読んでみたけどなかなかいいじゃん?みたいなことが言えればいいんだけど、そういうこと言えない人間だと思う」

市川「この前佐々木中と話をした。東浩紀は一度も佐々木中のことを悪く書いてないって」

東「そう、そもそも全然接点がないし佐々木中について何か書いたこともなかったと思う」

市川「そしたら、でも僕はゲンロンに呼ばれないので……って(笑)」

東「呼ばれたいと思ってんの(笑)。全然、呼ぶし、向こうから来てもらっても構わない。ゲンロンには僕のことを批判してる人も結構呼んでる」

 

東「僕は広く読まれたいとか、メディアによる情報伝達とか一切興味ない。顔が見える相手に向かってやりたいことをやりたい。本も1万部くらい売れて、生活できていければそれでいい。啓蒙とか、馬鹿にわかりやすく伝えるなんて努力は放棄」

市川「じゃあ弱いつながりはどうなの?」

東「弱いつながりは実はかなり高度な本で、そういう仕掛けを施してある。簡単に読めるのは錯覚。弱いつながりは柄谷行人が最近よく世界共和国とか言っていることへのすごく遠まわしなアンサー。世界共和国が成立するためには二つの条件がある。各国が?共和制であることと相互に訪問すること。彼は前者を重要視してる。彼はヘーゲリアンだから民主主義を重視してそういうことを言っているが、現実的でない。筋がよくない。お互いの交流を深める訪問権の方が重要。僕はネット思考なんで。カントの永遠平和にために的にはそう。ただ、あんなもん(「弱いつながり」)で世の中は変わらない。今は嫌韓本・嫌中本とかしか売れない。あんなのが30万?何十万?部も売れる国。絶望しかない。浅田彰に言わせれば土人の国。まだないけど、そのうちネトウヨ大学ができる。田母神さんを教授にしたりして人気が出る。背に腹はかえられないってことでいろんな大学がやり出す。早稲田みたいな伝統ある大学でもあり得る」

市川「今は教授個人の良識でもってる部分があるかもしれない」

東「この国では百田尚樹でも日本を代表する作家で、知識人ということになる。あの人相当なこと言ってるけど、作家でNHKの経営委員ということで知識人扱い。櫻井よし子も知識人」

市川「村上春樹もいるじゃない? 日本を代表する作家」

東「そう、村上春樹百田尚樹も日本を代表する作家ということになる」

 

東「僕は民主党寄りだったんだけど、安倍政権になっちゃったし波が去ってしまった。いつになるかわからないけどまた波が来るまで、もう来ないかもしれないけど、待つしかない」

「コミュニティがないとだめ。コミュニティは大事。浅田彰京都造形芸術大学の教授に落ち着いてしまってる?し、柄谷行人もNAMを解散してしまっている。組織でも言説でも持続が大事。いつ何が起きるかわからない。コミュニティがなかったから震災でも柄谷行人は個人でデモの先頭として?参加することしかできなかった。大きな流れを作れなかった。柄谷行人は絶対にNAMを続けているべきだった。知名度もあったし、人望もあったから可能だったはず」

「大塚や宮台なんかはメディア評論家だから、波?流れ?の中で活動?する。でもアラブの春とかオキュパイとかのあとに何か残ったかといわれれば何も残ってない」

浅田彰が死ねって命令したからって死ぬ奴はいない。でも普段からそういうコミュニティを作っておかないと、波が来て去って、社会に何か大きな変動が起きたとき困る」

「波が来てる時には何もしなくてもボランティアや人が集まってくる。波が引いたとたんに人は離れていく。その時どう凌ぐかという運動論が無い。ゲンロンでも今残ってる人は波が来る前の人たち」

「ゲンロンに國分功一郎呼んだ時も思ったけど、社会運動系のファンがつくと気の毒。言いたいことを、特定のことを言えなくなる。糾弾されるし」

市川「弱いつながり、とか文学とか哲学では世界なんて変えられないって言ったけど、それは言葉なわけじゃない? そしてそれにはいろんな歴史とか背景があって。例えば釣りで世界を変えようなんて言った場合にそっちの方が無理だと思うんだけど」

東「それはわかんないよ。釣りにも歴史があって、釣り評論家がいて釣りの専門雑誌があって、釣竿なんかもカーボンファイバーとか使って凄い進化しててさ、すげえ軽いみたいな。そんでポイントに投げるのなんかもすごいピンポイントに投げれるようになってるのかもしれない。軍事技術に転用できたりするんじゃない」