10月2日(金)
8月の『日記』を読んだ女性読者からメールが届く。
「ブログ読んだんですけど、なかなか飛ばしてて良かったです」
「ブログを文フリで本の形にしたときはサイン付きでくださいね」
はてなブログには「アクセス解析」という機能があり、アクセス元のサイトや、よくアクセスされているページ、PV数などを確認できる。8月の『日記』は、他の記事に大差をつけてぶっちぎりの閲覧1位になっている。
メールをくれた読者の他にも、Xで相互フォローしているが長年なんの音沙汰もない小中の同級生だった女子から突如「いいね」が届いた。読んでたのかよ。
なぜか女性読者からの評価が良く、嬉しい。嬉しいが、私は自らの悪癖と、暴挙という他ないこの文章によって大切な友人を怒らせてしまっているため、素直に喜べず。
10月4日(日)
16時より、飯田橋付近の貸会議室にて、ドストエフスキー『白夜』読書会が開催される。参加者は12名。
以下、未読者はネタバレ注意。
ドストエフスキーが26歳で執筆したドスト初期の作品。私はこの小説を大学生時に角川文庫版で読み、その後、講談社文芸文庫版、先日に光文社古典新訳文庫版を読んだ。角川文庫版には今日の観点からすれば不適切と思われる表現が散見されるのだが、ドスト特有の数ページにも亘る無駄に長くハイテンションでペラペラ喋りまくる会話文や記述が良く活かされており、好きである。
明るい星空は、それを振り仰ぐと思わず自分の胸にこんな疑問を投げかけずにはいられないほどだった──こんな美しい空の下に、さまざまな怒りっぽい人や、気紛れな人間がはたして住んでいられるものだろうか? これもやはり、愛する読者諸君よ、幼稚な、きわめて幼稚な疑問である。しかし私は神が諸君の胸にこうした疑問をよりしばしば喚起することを希望する!……。
ドストエフスキー『白夜』(小沼文彦訳、角川文庫、2011年88刷)p.5
冒頭はこんな純真で感傷的、ロマンチックな問いかけから始まる。いいですよねえ、こんな美しい夜空の下に我々は共にいるというのにね。
朝早くから、なにか奇妙なわびしさが、私を苦しめはじめたのである。まったく藪から棒に、この孤独な私をみんなが見棄てようとしている、みんなが私から離れようとしているというような気がしはじめたのだ。
(中略)
なにしろ私はこれでもう八年もペテルブルクに住んでいながら、ほとんど一人の知人をつくる覚悟もなかった男なのだから。しかし知人なんかこの私になんの必要があるのだ?
ドストエフスキー『白夜』(小沼文彦訳、角川文庫、2011年88刷)p.5
どしたん? 大丈夫そ? 「話聞こか?」と言いたいところだが、主人公の男は一度喋り出すと止まらない空想家であるため、やめておく。ちなみになぜ彼がこのような感覚を抱いたのかというと、街の人々が農園付きの別荘・ダーチャ(Дача)で余暇を過ごすために大移動を始めているからである。
あらすじは、この主人公の孤独な青年(26歳)が夜のサンクトペテルブルクで中年男性に絡まれそうになっている若く美しい少女・ナースチェンカ(17歳)を、たまたま手に持っていたステッキで威嚇することによって助け出し、話してみたところ拒絶されることもなくおもしろがってくれ、その後も何度か逢瀬を重ねるが、彼女には将来を誓い合った男がおり、最終的に彼女はその男の元へと走り去って行くというものである。
私は久々に再読し、ある確信を得る。
読書会は、まず参加者を2つのグループに分けて第1部とし、第2部ではメンバーを入れ替えて議論・感想戦を行なう。
第1部は全員男性。かなり盛り上がる。男性陣は過去の苦い体験から「10代の頃の恋愛を思い出した」「中立的には読めない、だから良い」「フラッシュバックに苦しみながら読んだ」「主人公の職業が謎」「主人公の趣味が散歩であることからインテリっぽさを感じる」「建物に対する興味や愛着が、人間の営みには敬意を払うが、しかし人間とは関わりたくないという性格を反映している」「陰キャでラノベの主人公っぽい」「電車男を思い出した」「ペトラシェフスキー連座前で政治的含意がない貴重な作品」「宗教というテーマもない」「自分とわかり合える人間がいないという苦しみが現代的で普遍性がある」「ナースチェンカのような女性はたしかにいる」などの声が聞かれる。
30年ほど前にモスクワとペテルブルクで生活した経験のある参加者から「たしかに当時も、時季が来ると都市には家族や友人同士でダーチャに向かう人々の流れが起きていた」「8年も生活していて誰からもダーチャに誘われずに取り残される心細さや苦しさは、例えるならクリスマスに独りで過す『クリぼっち』に近いのかもしれない」という見解が示され一同頷く。
ここで私が久々の再読後に得た確信を披露す。主人公の青年は必ずインセル・ローンオフェンダー・テロリストになる。
この作品はその前日譚である。孤独な弱者男性である青年は、やっと自分のことを理解してくれる、しかも女性が現れたと舞い上がり、熱狂するが、彼女はあっさりと他の男の元へ走っていく。裏切られたと感じた彼は自身の空想癖も相まって、最初は女性、やがて社会に対する憎悪と怨恨を募らせてゆく。彼が現代アメリカに生きていれば、銃器を購入して銃乱射事件を起こすことは間違いない。社会変革のため政府転覆を狙ったテロを起こすことも考えられるが、彼は内向的で社会性が無く内に閉じており、可能性は低いだろう。いずれにしても、16年後の『地下室の手記』に連なる作品である。名前を持たない点でも地下室人と共通しており、地下室人の過去とも捉えられる。ドスト自身がテロリストなのだから、いい線いってると思う。と主張。喝采を受ける(受けたはず)。
第2部は女性参加者が2名のグループ。冒頭、やはり男性参加者の間で「ナースチェンカは思わせぶりである」「たとえば女性と二人きりで食事に行き、これはワンチャンあるかと思いきや女性からすれば『ただご飯食べに行っただけ』みたいな感じ」など盛り上がっているなか、女性参加者は茫然としている。女性の意見を聞いてみる。
「ナースチェンカも悪いとは思うが、主人公からは女であれば誰でもいいという印象を受ける」「ナースチェンカそのひとである必然性が感じられない」「カズオ・イシグロ『日の名残り』に似ている」「思い出話系」などの声。
私のインセル読みを披露する。女性陣から「そんな馬鹿な」「ナースチェンカはきちんと手紙で事情を説明している。筋は通している。あとは主人公が手紙に返信すれば良いだけでは?」との声。
私は、インセル弱者男性に筋もクソもない、勝手に裏切られたと感じて逆恨みして、勝手に憎しみを募らせ暴発するに違いないと主張。
女性参加者から「弱者男性とおっしゃいますがその定義は?」と質問。
「容姿に恵まれず異性にモテない、相手にされない」「コミュ障」「社会的に評価される職業に就いていない」「不安定な雇用形態」「経済的困窮」などの回答。
「わたしが思うに、社会的ステータスではなく、そのメンタリティこそが弱者男性を弱者男性たらしめているのでは」と女性参加者は主張。たしかにそうなのかもしれない。ただ、「それができたらダーチャに行ってる」ということで決着。
今作は男女で受け取り方に明確な違いがあるように感じ、おもしろかった。
読書会終了後、飯田橋付近の居酒屋に移動しての懇親会。
女性参加者の方々に結婚観などをお聞きする。
「人によると思いますけど、最初のうちに判断する人と長い目で見る人がいるような気がします」
「転職して収入が増えたんですけど、なんか婚活の意欲が無くなっちゃったんですよね。ただ、電車に乗ったり街を歩いてるときに家族連れを見ると、孤独を感じることがあります」
私が質問する。
「皆さんの職場ってジェンダーに偏りはないですよね? 昨今、未婚独身男性社員なんてたくさんいるのでは?」
「わたしの職場では30代手前くらいまで全員既婚者です」
「わたしの勤め先にもたしかに男性はたくさんいますけど、誰でもいいってわけじゃないですからね。以前職場の男性同僚社員と食事に行ったんです。わたしは友人として接してたんですけど、唐突にペンダントのネックレスをプレゼントされたんです」
「いきなりアクセサリーとはこれまた重いですねえ……」
「突然のことだったのでびっくりしちゃって、その場では受け取ってしまったんですけど、後日返して、距離を置いたんです。そしたらnoteに『ぬいペニ扱いされた』って書かれたんです」
「なんですか? その、ぬいペニってのは?」
私は知らなかったのだが、正式名称を「ぬいぐるみペニス現象」または「ぬいぐるみペニスショック」といい、女性が「無害で仲の良い友達(ぬいぐるみのような存在)だと思っていた男性から、突然恋愛感情や性愛を向けられたとき」に感じる強い嫌悪感・ショックを表すネットスラングであるらしい。なんというネーミングセンスだ。
その後、最近読んだ本、おすすめの本や作品についてや、朝の通勤ラッシュにも「アタリの満員電車」と「ハズレの満員電車」が存在するとか、グループYouTuber「雷獣」や東大理三受験界隈・日中韓三つ巴状態の話や、wakatte.TVの太ってない方は矢面に立ってなくてムカつくから嫌いなどの話で盛り上がる。
話題は劇場版『ちいかわ』に及ぶ。ちいかわ好きの女性参加者は「社畜ほど刺さります。わたしは序盤ちいかわ達が働いている姿を見て号泣しました」と発言。「そんなまさか」と笑っていると、ちいかわファンの男性参加者が「原作厨もニッコリの完成度ですよ」「音と声が神の手でコントロールされているんです」と絶賛。私もまずはアニメ版から試しに観てみることを決意。
女性参加者のなかに投資をされているかたがいたため、ある国や地域の経済発展度合いと社会の成熟度合いを推し量ることができる、私のとっておきアノマリーをお教えする。
「何だと思います?」
「あ、わかりました。ヘムライン指数、女性の履くスカートの長さですよね。好景気だとミニスカートが流行って不景気だとロングスカートが流行るってやつ」
「ああ、有名なやつですね……。違います……。それはずばり……SMクラブの数ですッ!」
「……え? えすえむくらぶ……?」
「そうです! 女王様がムチをピシーッ! ってやるやつですね! 発展途上国にSMクラブは無いんです。みんなが人民服を着てチャリに乗ってる頃の中国には存在しませんでしたが、今やSM大国です。最近は以前までまったく見かけなかったタイやベトナムでも観測されてますが、それは経済が発展し、社会が成熟し始めてるからなのですよ! SM文化を享受するにはカネと暇が必要なのだとぼくは見ています! 女性の社会進出とも関係があるでしょうねえ!」
「絶対違うと思います」
「関係ないでしょうね」
女性陣、失笑。ChatGPTにも否定される始末。
「もうちょっとその論を補強しておいてください。だいたい、どうやって観測してるんですか?」
「X、旧ツイッターですよ、もちろん!」
「橋元さんのタイムライン、なんかすごそうですね……」
2時間弱に及ぶ懇親会は盛況のうちに終了。各々飯田橋駅より解散す。路線が同じ先輩と女性参加者のかたとホームでしばし立ち話する。
帰宅。入浴、就寝。
10月6日(火)
夜、賃労働を終えて帰宅。入浴後、PCを立ち上げると、見慣れない宛先からメールが届いている。
「初めまして。真央と申します。ブログを読みました。配信も聞きました。とってもおもしろくて、直接会ってお話しがしたいので、良かったら今度一緒にご飯行きませんか? 無理はなさらなくて大丈夫です!」
私は自分の目を疑った。あり得ない。まず疑うべきはイタズラ、各種詐欺、宗教勧誘、美人局といったところだろう。
深い懐疑の目を向けつつ、しばらくメールのやり取りをしてみると、送り主は20代の会社員女性であるらしい。
お褒めの言葉を頂き嬉しいが、私は醜男であるし、おもしろい話など到底できそうにもなく、会った瞬間に先方を落胆させること必至であるからして、丁重にお断りの返信をしたためようとしたものの、例えイタズラや詐欺であったとしても、これはブログのネタになるなと思い直して承諾す。
イニシアチブを取るため、店はこちらから提案する。以前、同い年の旧友から話を聞いて気になっていた「味坊集団」が展開するガチ中華の店を希望、快諾を得る。日時を決め、半信半疑のままやり取りを終える。一体どうなってしまうのか。
10月11日(日)
先日メールをくれた女性との約束の日。
午前、起床。バナナを食べ、知覧茶を淹れて飲む。昼過ぎ、電車に乗って秋葉原へ向かう。

連休の中日ということもあってか、真っすぐ歩けないほどの凄まじい人出で賑わっている。海外からの観光客と思われる団体が多い。
待ち合わせの時間までは余裕があるため、神田ふれあい橋を渡って書泉ブックタワーへ本を買いに行く。


書泉ブックタワーは一階に英語版のマンガや旅行ガイドブック等のコーナーが設けられており、海外からの観光客と思われる人々で賑わっている。文庫や新書を数冊購入する。
その後、待ち合わせ場所である店舗前付近に向かう。メールで私の服装や持ち物を伝えておく。しばし待っていると、若い女性に声をかけられる。
「橋元さんですか? 初めまして、真央です」
そこには、白のパンツに黒のノースリーブニット、黒髪ロングを後ろでまとめ、顔には柔和な微笑を湛えた、スタイルの良い麗しき女性が立っていた。
「……え、あ、ハイ……。初めまして……。立ち話もなんですから、お店入りましょう。予約しておきましたので……」

「入る前に写真を撮らせてください。ブログに載せたいんで」
店の外観の写真を撮って入店。席に着く。

私は漢方ハイボール、彼女は白酒ハイボール・通称バイボールを頼む。店のコンセプトは「中国ファミレス」らしく、周囲の、主に中国人客を見ていると、酒を飲むというよりは食事をしに来ている者が多いという印象を受ける。
「すいませんね、ぼくの好みに付き合わせて。一人じゃどうも入りづらくて」
「わたしも気になってたんです。系列のお店には行ったことあったんですけど」
「じゃあ……とりあえず……この出会いに、乾杯……」
彼女は笑う。
「はい、乾杯!」
まず確認しておかなくてはならないことがある。
「真央さん、ぼくは今日のこともあなたのことも、訳のわからない文章に仕立て上げてブログに公開しますよ、あなたをダシに使うってことです。いいんですね?」
「はい、むしろ光栄です。8月の『日記』も読みました。第三者としては読んでいてとてもおもしろかったんですけど、でも、自分をモデルにあんなふうに生々しく書かれたら、誰だって良い気持ちはしないと思いますよ? お友だち、怒らせちゃったんですよね?」
「おっしゃる通りで……。どうなんでしょうねえ……最近はぼくの宣伝ツイートに『いいね』してくれなくなったのは確かですが……」
料理が到着する。羊肉の串揚げ、東北地方の野菜サラダ、よだれ鶏、〆に黒酢で食べる三鮮水餃子。
「あなたの手元を写した写真を撮ってもいいですか? すぐに『フカシ』だとかぬかすヤツがいるんでね。あと『匂わせ』効果も発揮できると思うので」

料理はどれも美味。飲み食いしながら話す。
「それで、なんでメールくれて、わざわざぼくに会いに来てくれたんです?」
「メールにも書きましたけど、ブログを読んで配信を聞いて、おもしろいひとだなと思ったので、お話ししてみたくて。ブログはまだ全部は読んでないんですけど、配信は何回も聞いていて、大体どこで何をしゃべるのか覚えちゃいました」
「そんなにおもしろかったですか? 嬉しいですよ。実際に他者を、あなたを動かしたんだ。ぼくの書いた文章や喋りにはそれなりの力があったってことだ。ぼくの企ては成功していると言えるでしょう」
「あるユーチューバーが言ってたんですけど、男性は『モテ』に振る人と『おもしろ』に振る人のどちらかしかいないらしいんです。橋元さんは『おもしろ』に振っている人ですよね」
「全然おもしろいとは思えませんが……。まあ仮にぼくが『モテ』に振ったところで何の意味もないですから。空振りに終わるだけでしょう、そんなの。路傍の石ころはどんなに磨いたってただの石ころですよ。それに、取り繕ったところで、必ずボロが出ます」
「わたしはおもしろいひとと、本を読むひとが好きなんです」
「おやおや、雲行きが怪しくなってきましたねえ。ぼくはそのどちらにも当てはまらない。真央さんは読書がお好きなんですか?」
「はい、日常に本があります」
どんな本を読んでいるのか聞いてみると、古典から現代まで、エンタメ、SF、時代小説、海外文学など、聞いたこともない作家や作品の名前が次々に飛び出してくる。自宅の本棚を写した写真を見せてもらうと、一面本で埋め尽くされている。これでも引っ越しの際に大半を処分した後であるという。
「まさに本の虫ですねえ。読んできた本は軽く1000冊は超えてるでしょうね。なぜそんなに本を読むんです? 真央さんはそこに何か求めるものがあるんですか?」
「わたしは小説読みなんですけど、ロールモデルを探しているふしがあるような気がします。わたしは寡黙で、静かに責任を引き受ける人物が好きで、自分もそういう人間になりたいのかもしれません。時代小説には孝行とか忠義、人情といった、現代では失われてしまった、人と人との繋がりが描かれています。そういう人間同士の結びつきも好きです。もちろん、前時代は良かったけど現代はだめとか、礼賛するわけではありませんけど」
「なるほどね。村上春樹についてはどう思います?」
「あー、橋元さんと一緒です。エッセイはおもしろいと思います。小説は好きじゃありません。性描写も、ここでそれ必要? って思います。昔の作品は大体読みましたけど、もう全然追ってません。『夏帆』もまったく興味ないです。村上作品の主人公って、みんな全然お金に困ってないんですよね。傍目から見ればむしろ豊かな暮らしをしてる。でも精神的な空虚に陥って、最後は死ぬっていうのが、もういいやって感じです」
「素晴らしい、完璧だ!」
そうだ、村上春樹にとっての「普通」とは、東京は杉並区だか世田谷区の一戸建てに住み、父親は国立大の理系学部を卒業、ないし大学院を修了して食品会社やらの研究所で研究員として勤務、趣味はゴルフで休日はもっぱらゴルフ、母親も大卒で専業主婦、趣味は短歌で仲間とランチ、姉は東大を出て弁護士になり、コンサル勤務の男と結婚して日比谷公園そばのマンションを買って住む、というものらしい。なんとかの恋人とかいう作品にそんな感じのことを普通だと書いていなかったか。主人公の「僕」は学校の教師で教え子の母親と肉体関係。汗と泥と埃と油を被って働く人々はどこにいる? 休日には酒とパチンコと競馬しかやることがない父親はどこにいる? 引きこもり気味で女にモテない冴えない主人公は? 日々の生活にも困らず女と変態セックス三昧で「でも僕は」「僕」「僕」「僕」、ざけんじゃねえ。
「橋元さんもたくさん本を読んでますよね? 読書好きですよね?」
「読んでるフリをしてるだけで全然読んでませんよ。ぼくにとって読書は闘いであり、苦痛を伴います。さっさと資本主義ゲームに勝ってカネ持ちになって享楽を貪るつもりなので、そうなった暁には持ってる本なんか全部燃やします。そもそも意味ないんで、ぼくみたいな人間が本を読んで何かを感じたり考えたりしても」
「う~ん、ほんとかなあ……。橋元さん、ご自分のことを『信頼できない語り手』だって書いてましたけど、現実でもそんな感じがしますね」
「ええ、あまりにも適当すぎて、最近は自分でも一体自分は何をどう思っているのかわからなくなってきましたねえ」
「さっきおっしゃった『闘い』ってどういうことですか?」
「そう言っておいたほうがカッコいいでしょう……? すいません……真面目に話すとですね、ぼくたちはいずれ死にますよね。人間、というか生物には寿命があります、必ず死にます。
最近、YouTubeで小林武彦っていう、東大の定量生命科学研究所で教授をしてる生物学者の公開講座を見たんです。導入はこんな話から始まります。彼には小学生の息子がいて、自宅でカブトムシを大事に飼ってたんですけど、夏が終わると死んでしまった。息子はたいそう落ち込んで、『エサもあげてたし、ケガしてるわけでもないのに、なんで死んじゃったの? お父さん生物学者だからわかるでしょ?』と尋ねてきたそうです。小林先生は『秋になると体液が固まってきて、最終的に動けなくなって死んじゃうんだよ』と答えたんですが、おそらく息子はそんな生理学的なことを聞いたのではなかった。
なぜ生物は死ぬのか? なぜ死ななきゃならないのか? そういうことを聞きたかったのではないか。で、一応、生物学はこの問いに対する答えを持っている。生物学者たちは、地球上でいちばん最初に死んだものは何だったのかと考えたそうです。それで、死の起源を求めて38億年前まで遡ってみると、熱水噴出孔の周りで起こった化学反応によって合成されたRNAという有機物が最初に死んでいることがわかった。これはまだ生物ではないので、死ぬという表現は正しくないかもしれないんですが、とにかくコイツが、複製能力が高いものを選択して他のものは分解するという変化を繰り返して、生命のタネ、私たちの祖先、すなわちゲノム(DNA)となった。
そういう進化の結果できた生物は最初から死ぬようにできており、死があるものだけが進化できて存在している、これまでの多くの生物の死があるおかげで今の私たちの生がある、死は進化のために必要な究極の利他的な行為だと結論付けられます。ぼくたちは後世の生のために死ぬんです。
この夏に地元に帰って3歳の甥っ子と1歳の姪っ子に会ってきたんですが、よちよち歩き回ってにこにこ笑う彼らを見て、なるほど、こうやって生命は受け継がれていくんだなとしみじみ思いました。しかし、しかしですよ、とてつもなく長い目で見れば、たしかにそうなんでしょう、死は進化のために不可欠なんでしょう、自分が過去の厖大な生物の死から受け取ったバトンを次の世代へと渡さなきゃいけないんでしょう。だが、しかし、そう簡単に納得して受け入れられるものではない。小林先生は『(死は死んでしまう)自分にとっては1ミリも良いことはございません』と断言しています。
ぼくはよく思います。不老不死が実現して、家族も友だちもずっと元気で、いつまでも楽しく暮らせたらいいのになあと。もちろんそれはそれでキツいっていうのもわかります、人間は飽きますからね、耐え難くなるのかもしれない、人口が爆発して地球のキャパを超えてしまうっていうのもある。仮に不老不死が実現し、人類が核戦争の危機を回避し続けて平和を継続したとしても、10億年後には太陽の膨張によって地球表面の温度は200℃に達して海水は干上がり、文字通り『死の惑星』と化し、生物が生存できる環境ではなくなってしまう。イーロン・マスクは地球外の惑星にコロニーを作るしか人類が生き延びる道はないと考えてるそうです。ガンダムとかマクロスみたいな話ですね。そのためにスペースXを立ち上げてロケットを打ち上げまくってるんだ」
「わたしは滅亡するとわかっていても地球に残ります」
「ほう! ぼくも同感ですね! さて、ぼくたちは死ぬ、地球が滅亡するとわかっていながら、なおこの星に留まり続ける、むなしいですよねえ。何をしても無駄だし意味ないですよねえ。どうせ何もかも消えて無くなるのだし、その前にぼくらは死ぬんだから、後世が、ぼくらの死によって繋いだものがどうなっているのか、ぼくたちは死んでしまっているがゆえに観察することすら叶いませんよねえ。なぜ生きるんでしょうねえ?」
「わたしは母のことが大好きなんですけど、母を悲しませたくないから生きているのかもしれません」
「でも、お母様はおそらくあなたより先に死んでしまいますよね? お母様が亡くなってしまったらあなたも死ぬんですか?」
「このひとを悲しませたくない……そのために自分は生きよう……そう思えるひとを探してるのかもしれません……」
「それは相手に依存しているだけだと言うこともできますよね。でもそういうものなのかもしれないな、人間は何かに依存しないと生きていけないのかも。酒とかギャンブルとか女とかブンガクとかゲージュツとかね」
ここで3、4杯目の漢方ハイボールが運ばれてくる。彼女もバイボールを飲みまくって顔が赤くなっている。
「あの、真央さん……? そんなに無理して飲まなくても……。ぼくはもうウーロン茶にします」
「ええっ? ウーロン茶? だめですよ! 橋元さんまだ全然酔ってないですよね? ウーロンハイにしてください!」
「……へ? え、ええ……じ、じゃあウーロンハイで……」
なぜ彼女はあまり強くないと思われるアルコールをガブガブ摂取しているのか、のちに明らかとなるのだが、この時はまだ知る由もなかった。
「長くなってしまいましたが結論としてはですね、どうせ死ぬし、すべては消滅するんだから何をやっても楽しくないし意味はない、しかしその事実を、涙を呑んで受け入れて、やはり生きていくしかない。カミュっぽく言えば抵抗していくしかない。死を経験した者は死んでしまっているから知りようがないが、死はどうやら苦痛を伴うものであるらしいから、自殺はしたくない。与えられた生をなんとかして肯定しなければならない。実際、自分だってその苦闘の足跡に勇気づけられてきたんだ。文学は、ミームは残すことができる。自然科学の法則や数学の未解決問題なんて放っておいたって天才が、天才が現れなくとも、いずれAIが発見し解決してくれるんだから、ぼくにとってはどうでもいい。などとそれっぽいことを言って権威づけているわけですが、最近はやはりボロが出てきてしまっている。ぼくは性根が大変怠惰にできており、職場と自宅アパートの往復を繰り返すだけで他には何もしていないししたくない。話題を変えましょう──。お休みの日は何をしてるんですか?」
「最近はテニスをしています。家にいるときはお茶を飲みながら本を読んで過ごします」
「アクティブかつ高貴ですねえ! もうここまで来たんだ、失礼を承知で根掘り葉掘りお聞きしますよ! 結婚願望はあるんですか? 子どもを欲しいと思いますか? 交際経験は? 別れた理由は? ぼくはここらの事情に疎いんですよ! ぜひ教えていただきたいんです!」
「結婚は……どうなんでしょう、結婚はしなくても、パートナーは欲しいと思います。子ども、というか、妊娠出産は怖いという気持ちが強いです。やっぱり女性のほうが肉体的にも精神的にも負担が大きすぎるんじゃないかと思うんです。もっともこれは今の時点でそう思うっていうだけで、結婚したりすれば変わるのかもしれません。わからないですね」
「勉強になります!」
「ジェンダー平等っていう理念はわかるんですけど、わたしは女性には女性にしかできないこと、男性には男性にしかできないことってやっぱりあると思うんです。わたしは男性には男性固有のものを求めます」
「これまでお付き合いしてきたひとはどんな感じだったんです? なぜ別れたんですか?」
「最近まで付き合ってたひとは、わたしモンハンとかポケモン好きなんですけど、彼もゲームが好きで、料理もしてくれて一緒に食べたりして、とても楽しかったんですけど、仕事や職場の話を家に持ち込まないでくれっていう考えのひとだったんです。わたしはできるだけお互いのことを共有したい人間なので、すごく寂しいなと思って」
「それは酷いな! ぼくは友人のことも同時代を生き抜く戦友だと思ってますからね! 人生を共に歩むパートナーなんて尚更だ!」
「それに、一番の問題は、これまで付き合ったひとたちは全然本を読まないということでした。わたしはさっきもお話ししたように、日常に本がある生活をしてます。読んだ本、好きな作家や作品について語り合ったりしたいんです」
「ぼくは本なんぞ読まない、読めないが、しかし本を読む男なんて腐るほどいるでしょう! 真央さんはマッチングアプリやってないんですか? あれは好きな物事や共通の趣味を持つ相手と繋がれる仕組みが──」
「わたしの周りには本を読むひとが全然いないんです。マッチングアプリはやってないし、やるつもりもありません。そうだ、マッチングアプリで思い出しました。わたし信じられないんです、橋元さんが7年間もマッチングアプリやってて一人も会えなかったってことが。たしかに書いてることはめちゃくちゃなことが多いですけど、こうしてお話ししていても、すごくしっかりされてるし、なんというか、まともなかたですよ、橋元さん。やっぱりアプリじゃそのひとの人となりはわからないっていうことだと思います」
「その話ですか。以前女友達とマチアプの話をしたんですが、彼女は同時に複数の相手とやり取りするのが大変だっただけで、いろんな人と関われて楽しかったと言ってました。ぼくはすごい性差を、婚活に対する認識の乖離を感じた。例の記事でも書いてますが、マチアプの運営会社で働いてる友人の話では、そもそもの登録者数が圧倒的に男性に傾いてるんです。ぼくがメッセージを送っても大半は無視、気づいたら相手は退会してる、そんな感じですよ。でもあなたは違います。やってみればすぐに──」
「やりません!」
「素晴らしい気概だ! いいでしょう──、だいぶ温まってきましたね! あなたは本読み、特に文学、小説読みと交際したいとおっしゃいますが、ある批評家が言ってましたよ、小説読みは貧乏人ばかりだとね。ぼくも文学好きはクズが多いと思います。クズだから文学が好きなのかはわかりませんが。いい歳してカネも持ってない拗らせ軟弱男なんかより、ビジネス書や実用書、自己啓発書を読み漁ってバリバリ働くカネ持ち頑強男のほうが──」
「嫌です!」
「なるほどだめですか!」
「もちろんお金は大事だと思いますよ。自己防衛のために絶対必要だと思います。だからわたしは仕事を投げ出すことはできません。仕事は捨てられません」
「カネに関しては同感です。しかし文学好きは女にだらしないやつも多い。浮気されるでしょうね」
「橋元さんも浮気するんですか?」
「当たり前でしょう! 据え膳食わぬは男の恥、特にぼくはモテないから、ちょっとでも言い寄られたら味見したくてたまらなくなるでしょうねえ! へ、へ!」
「えー、それは無理です!」
「ちなみに、真央さんの中では風俗は浮気のうちに入りますか?」
「入ります! わたしじゃ満足できてないのかなって寂しくなっちゃうと思います」
「これはぼくがそうだって言ってるわけじゃないんですが、彼氏がとんでもなくエグい性癖を持っていて、大切なあなたにはこんなこと求められないと気遣って密かに通っていたのだとしても?」
「もしそうでも、相談はしてほしいです。できる限り共有したいです。なんでも話してほしい。応じられるかどうかは別の問題ですけど……」
「じつに勉強になるなあ。あなたは素晴らしい女性ですね」
「橋元さんはもしそういう気持ちになったらどうやって処理するんですか?」
「昔はよく行ってましたよ。大体のジャンルは体験しましたね。最近はまったく行ってませんし、そういう気も起こりません。枯れてるんです」
「うそ! そんなことないでしょう!」
「ぼくの悪い癖だ、どうしていつも性の話になるんだ! ところで、真央さんは文学フリマというイベントをご存じですか? 今度ぼくも出る予定なんですが、足を運んでみては? プロも参加しますし、アマでも、びっくりするくらいの爽やかイケメンが自分で作った本を売ってたりしますよ」
「文フリは……行ったことないですけど、気にはなってました」
「真央さんも何か書いてみればいいんじゃないですか? noteでもなんでも。絶対おもしろいと思うけどな。それだけたくさん本を読んで毎日アクティブに過ごしてるんだ。ぜひ読んでみたいですね」
「わたしは書けないし、書く必要もないと思います」
私たちのグラスが空いた。注文した料理も食べ尽くした。
「ガチ中華って一皿の量が多いから結構お腹いっぱいになりますよね」
「そうですね。あの、橋元さんって、タバコ吸うんですか? 吸いに行きません? 普段は吸わないようにしてるんですけど、お酒飲んじゃうと我慢できなくて」
「いいですね、行きましょう。なんならそのあとコーヒーでも飲みながら一服しましょう」
「ちなみに、さっきからずっと気になってたんですけど、それ書泉の紙袋ですよね? 本読まないのに本屋さんに行って本を買ったんですか?」
「ギクギクゥ! うっ!」
「ちょっと見せてください!」
「あ、ちょっと!」
「あーっ! 劉慈欣『三体』の文庫版全部買ってるじゃないですか! あとは稲田豊史『ポテトチップスと日本人』、ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』!」
「あ、え、いや、こ、これは、その、あの、えと、街を歩いていたら偶然書店があって、暇つぶしに入ってみたところ、偶然文学コーナーに辿り着き、偶然発見した『三体』は、先日大学時代の先輩に無理やり連れて行かれた読書会なるイベントに参加していたかたが猛烈に推していて、自分でも東浩紀や小島秀夫といった著名人が推薦しているのを見て、なんたる偶然、普段全然本は読まないけどチャレンジしてみようかなと、その、思った次第で! あとの2冊については、なんだかおもしろそうだったので、普段全然本は読まないけどチャレンジしてみようかなと、その、思った次第でありまして!」
「橋元さん言ってることとやってることがめちゃくちゃです! 混乱してきました!」
わちゃわちゃしながら会計を済ませて店を出る。外はどっぷりと暗くなっている。昭和通り沿い、首都高高架下の薄暗い喫煙所に歩いて向かう。私はアイコスを取り出して吸う。彼女はマルボロを咥えてライターで火を点け、深く、ゆっくりと吸い、旨そうに煙を吐き出す。
「橋元さんはどんなときに吸うタバコがおいしいと思いますか?」
「そりゃあセックスしたあとの一服でしょうねえ」
「橋元さんにしてはひねりがないですね」
彼女はにこっと笑う。ジリジリと音を立てるほど、フィルターの根本ギリギリまで吸っている。そしてフゥーとひと際大きく煙を吐き出して、何か決心したかのように身体を私のほうへと向き直す。
「橋元さん、もし、身の回りの女性から、付き合ってくださいって言われたら、そのひとと付き合いますか?」
「え……? いや、それは……どういう? いや、どうだろうな……わからない……。たぶん、断ります……付き合わないでしょう」
嗚呼、私は天を仰いだ。彼女は私に好意を抱いてくれている。そして、驚くべきことに、暗に交際を申し込んでくれているのだ。彼女が飲めない酒をバカスカ飲みまくっていたことにも合点がいく。勇気を振り絞ってくれたのだ。しかし、私は終始言葉を濁し続けた。
「どうしてですか?」
「独りで生きることに慣れきってしまって、いまさら誰かと付き合うなんて、想像もできませんよ」
「そうですか……」
彼女は根元まで吸ったタバコを灰皿にストンと落とす。
「もうちょっとお話しましょう」
喫煙所を後にして、タバコが吸える喫茶店、ルノアールに向かうも、ちょうど閉店の時間となっており、エレベーターのボタンが反応しない。秋葉原がビジネス街であり、夜は早い時間に店が閉まってしまうことを失念していた。開いている適当な居酒屋に入る。私は気まずくなってしまい、どうすれば良いのか、何を話せば良いのかわからず、お通しのキャベツを齧ってやり過ごす。

「うーん、わたし、玉砕しちゃったなあ……」
彼女は唇を尖らせて俯き、身体を前後に揺らしながら呟く。
彼女は若く、美しく、聡明で、誠実である。そういう素晴らしい女性から好意を寄せてもらったこと、勇気を出して会いに来てくれて、決死の思いで交際を望んでもらったことは、嬉しかった。そんなことはあり得ないことだ。「ブログを書いてるとモテる」と同い年の旧友が言っていたことは本当だったのか。しかし、彼女の、20代の時間は貴重である。その貴重な時間を、私のような愚昧愚劣な人間と交際して費消してはならない。私は彼女のことが心配になった。
「ぼくがあと10歳若ければ、即承諾してたと思います。張り巡らした蜘蛛の巣にノコノコ捕まりに来た蝶を、あなたを帰したりはしない。互いに性的同意書に署名捺印のうえ、このままホテルに連れ込んでオフパコです。迸る熱いパトス! むぎゅっと抱きしめヌプクチュと舌をねじ込んだディープキッス! いや、そんなまどろっこしいこと抜きで出会って3秒で合体だ。……え? あ、いや、こっちの話です、検索しなくていいですから! でもね、ぼくはもう歳を取りました。そんなことできません」
「タイミング、ですね……。でも、歳って、橋元さんまだ30代ですよね、なんで諦めに至ったんですか。早すぎます、もったいないです」
「あなたはぼくのことを買いかぶってますよ。視野狭窄に陥っていると言ってもいい。さっきも言ったけど、そもそも、ぼく、本なんか読まないですよ。それに、付き合うって、付き合って何するんですか? こまめに連絡を取り合う? たまにはデートしてセックスする? ……だめだ! ぼくは日々の賃労働と生活で疲れ果ててしまってるんです。仮にあなたと交際を始めたとしましょう。その瞬間に、ぼくは仕事を辞めます。ぼくは働くことが心底嫌いな卑劣漢ですからね。そしてあなたの家に上がり込んで昼間から酒を飲み『真央~、腹減ったんだけど、メシまだあ~?』とか『お前の体調なんか知るかよ、とっととヤらせろよ!』とか『欲しい株あっからカネ寄越せ! 俺は投資で成功して億万長者になるんだ! てめえは黙って種銭稼いでりゃいいんだよ!』と管を巻きながらあなたを殴ります。ひとしきり殴ったあとは『ごめん、悪かった。俺は最低最悪な男だ! 俺を許してくれ……。俺の味方でいてくれるのはきみだけだ、きみだけがぼくの理解者だ……。ぼくを見捨てるのか……? 頼む! 見捨てないでおくれ! 頼むよォ! きみがいなくては、ぼくは生きていけないんだ!』とあなたの脚元に縋りついてさめざめと泣き、喚き、あなたを抱いて寝ます。しかし、次の日にはもうすっかり何もかも忘れ、『真央~、朝メシまだあ~?』それでいいんですか?」
「うそですね。橋元さん、やっぱりわたしの想像していた通りのかたでした。本当は違うのに、そうやってわざと露悪的なことを言って人を寄せ付けないんですね。今日お話ししていて、今までもこういうふうに自分から女性を遠ざけてきたんだろうな、橋元さんには他人の入り込む隙間が無いなって思いました。でも、だから橋元さんは文章を書く人なんだろうな、わたしには書けないんだろうなってことがわかりました」
彼女は物思いに沈みながら、グラスに付いた水滴をしきりに指でぬぐっていた。
「ああっ! わたし、もう結婚どころか信頼できるパートナーもできる気がしません!」
突然そう叫ぶと、テーブルに顔を突っ伏してしまう。
「何を言ってるんです? そんなわけないでしょう!」
彼女は一瞬顔を上げて力なく微笑むが、すぐにまた元通りテーブルに顔を埋めてしまう。
あなたは美しい。あなたは旺盛な知的好奇心と瑞々しい生命力に満ち溢れている。立派な会社に勤めてまじめにお仕事されている。あなたは幸せにならなくてはいけない。私には甲斐性が無い。働くことが嫌いな男はだめである。男を見る目を養わねばならぬ。知的で、身体を動かすこと、働くことが好きで、いっぱい稼いでいて、どんな困難にも負けず向上心を持ち、いつも朗らかな、あなたにふさわしい男を選ぶが良い。そして彼に「ね、この本すごくおもしろかったんだけど、読んでみて!」とすすめれば良い。そうだ、それで行こう。
間違ってもドストエフスキーなんぞを、「うはw これ俺のこと書いてあるやんけw 傑作すぎワロタww」「ギャンブラーの心理描写的確すぐるw 俺も1時間で運命変えたろwww」などと、背景の思想や信仰ガン無視で読んでるようなゴミクズ人間を選んではいけない。私小説好きもやはりだめだ。間違っている。
「終電の時間ですよ、そろそろ帰りましょう」
私にはここであなたを家に帰す責任がある。私はあなたのご両親やご家族に顔向けできるような人間ではない。頭が悪く性根はクズの田舎者、勤め先は弱小中小企業で底辺職に従事し低収入。人生を共にする女性がいたとして、私はその女に苦労をかけさせない責任を負う。ご両親やご家族にとって大切な女性を預かる男の義務である。果たせないなら共になってはならぬ。女を幸せにできないなら男であることをやめる。幸福の定義は知らない、わからない。だが私は確信す、私は幸せになるために生きているのではない、むしろ幸せになどなりたくないのだということを。
え? そういう時代じゃない? あざーす! 仕事辞めやーす! やっぱこれからは女性がガンガン外に出て命がけで働かなきゃね! 男に苦労かけさせんなよなあ!? ぼくを幸せにしてもらっていいですか? ぼくのことケアしてもらってよかですかあ!?
ガヤガヤとうるさかった居酒屋も、終電の時刻が迫ると一斉に客が帰り支度を始めて喧噪は鳴りを潜める。私たちも店を出て駅に向かって歩く。
「大変失礼なことを言いますけど、真央さん、あなたも物好きなひとですね。物好きな女性って本当にいるんですねえ」
「それは橋元さんご自身に対して失礼な発言だと思いますよ」
彼女は身体を傾けて私の目をしっかりと覗き込みながら笑ってくれる。
「ねえ、ぼくたち今日出会ったばかりですよね。徐々に深まっていく関係っていうのもあるんじゃないでしょうか──、って、こんなことを言うんじゃ卑怯だな、ぼくは」
「わたし、今日お誘いして良かったです。とっても楽しい時間でした」
「ぼくもいろいろと深い話ができて楽しかったし、嬉しかったですよ。また誘ってください」
「それって、橋元さんから誘ってくれることはないってことですか?」
「誘ったら来てくれるんですか?」
「もちろん!」
「わかりました。また会いましょう! 道中気をつけて!」
「はい! これからもよろしくお願いしますね!」
駅で別れて電車に乗る。途中で乗り換え、久々に最終電車に乗る。親切なことに、他路線から乗り換える乗客を待って発車してくれる。
帰宅、入浴して万年床煎餅布団に横になる。いまだに今日の出来事を現実とは思えず。まったくの無名、浅学菲才の身である自分が垂れ流した文章や配信を見ず知らずの人間が発見し、それをおもしろく思って、わざわざ連絡して実際に会いたいとまで感じてくれるとは、まったく予想もしていなかったことで、しばし茫然とする。
記憶が薄れないうちにと執筆に取りかかるが、なぜか筆が進まず。結局1ヶ月近くを費やすこととなる。
10月21日(水)
午前、起床。知覧茶を淹れ、ネオレーズンバターロールを齧る。出勤。
職場ロッカーの扉に紙が貼られている。元テレビ番組・映像制作会社ディレクターの篠原さんが、沖縄は小浜島土産を買ってきてくれたとのこと。ロッカー下のスペースに、土産屋のビニール袋に包まれた重い箱が置かれている。ありがたく頂戴する。

賃労働を終え帰宅後、さっそく開封してみると、南都酒造「35(サンゴ)リキュール泡盛珈琲」が入っている。売り上げの一部を沖縄のサンゴ礁再生のために使うらしい。

箱に記載されている説明書き通り、氷を入れたグラスで6:4の水割りにして飲む。美味。アイスコーヒーを飲んでいるかのごとくゴクゴクいけてしまうため危険な酒である。
そういえばアニメ『ちいかわ』第264話で、「栗まんじゅう」がゴーヤチャンプルを肴に泡盛を飲んでいたところ、「シーサー」がブラックコーヒーを手にやって来てその泡盛に注いでやり、ためらう栗まんじゅうに飲んでみるよう盛んにすすめ、意を決して飲んでみた栗まんじゅうは「ハーッ!」と感嘆のため息を漏らすという場面を観たばかりであったため、なかなか感慨深いものがあった。



















