ノブゴロド大公国

すっかりやられたよ。マノーリン、かたなしだ。

とある男の日記(ダイアリー)2026年10月編

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10月2日(金)

 8月の『日記』を読んだ女性読者からメールが届く。

「ブログ読んだんですけど、なかなか飛ばしてて良かったです」

「ブログを文フリで本の形にしたときはサイン付きでくださいね」

 はてなブログには「アクセス解析」という機能があり、アクセス元のサイトや、よくアクセスされているページ、PV数などを確認できる。8月の『日記』は、他の記事に大差をつけてぶっちぎりの閲覧1位になっている。

 メールをくれた読者の他にも、Xで相互フォローしているが長年なんの音沙汰もない小中の同級生だった女子から突如「いいね」が届いた。読んでたのかよ。

 なぜか女性読者からの評価が良く、嬉しい。嬉しいが、私は自らの悪癖と、暴挙という他ないこの文章によって大切な友人を怒らせてしまっているため、素直に喜べず。

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10月4日(日)

 16時より、飯田橋付近の貸会議室にて、ドストエフスキー『白夜』読書会が開催される。参加者は12名。

 以下、未読者はネタバレ注意。

 ドストエフスキーが26歳で執筆したドスト初期の作品。私はこの小説を大学生時に角川文庫版で読み、その後、講談社文芸文庫版、先日に光文社古典新訳文庫版を読んだ。角川文庫版には今日の観点からすれば不適切と思われる表現が散見されるのだが、ドスト特有の数ページにも亘る無駄に長くハイテンションでペラペラ喋りまくる会話文や記述が良く活かされており、好きである。

 明るい星空は、それを振り仰ぐと思わず自分の胸にこんな疑問を投げかけずにはいられないほどだった──こんな美しい空の下に、さまざまな怒りっぽい人や、気紛れな人間がはたして住んでいられるものだろうか? これもやはり、愛する読者諸君よ、幼稚な、きわめて幼稚な疑問である。しかし私は神が諸君の胸にこうした疑問をよりしばしば喚起することを希望する!……。

 

ドストエフスキー『白夜』(小沼文彦訳、角川文庫、2011年88刷)p.5

 冒頭はこんな純真で感傷的、ロマンチックな問いかけから始まる。いいですよねえ、こんな美しい夜空の下に我々は共にいるというのにね。

 朝早くから、なにか奇妙なわびしさが、私を苦しめはじめたのである。まったく藪から棒に、この孤独な私をみんなが見棄てようとしている、みんなが私から離れようとしているというような気がしはじめたのだ。

(中略)

 なにしろ私はこれでもう八年もペテルブルクに住んでいながら、ほとんど一人の知人をつくる覚悟もなかった男なのだから。しかし知人なんかこの私になんの必要があるのだ?

 

ドストエフスキー『白夜』(小沼文彦訳、角川文庫、2011年88刷)p.5

 どしたん? 大丈夫そ? 「話聞こか?」と言いたいところだが、主人公の男は一度喋り出すと止まらない空想家であるため、やめておく。ちなみになぜ彼がこのような感覚を抱いたのかというと、街の人々が農園付きの別荘・ダーチャ(Дача)で余暇を過ごすために大移動を始めているからである。

 あらすじは、この主人公の孤独な青年(26歳)が夜のサンクトペテルブルクで中年男性に絡まれそうになっている若く美しい少女・ナースチェンカ(17歳)を、たまたま手に持っていたステッキで威嚇することによって助け出し、話してみたところ拒絶されることもなくおもしろがってくれ、その後も何度か逢瀬を重ねるが、彼女には将来を誓い合った男がおり、最終的に彼女はその男の元へと走り去って行くというものである。

 私は久々に再読し、ある確信を得る。

 読書会は、まず参加者を2つのグループに分けて第1部とし、第2部ではメンバーを入れ替えて議論・感想戦を行なう。

 第1部は全員男性。かなり盛り上がる。男性陣は過去の苦い体験から「10代の頃の恋愛を思い出した」「中立的には読めない、だから良い」「フラッシュバックに苦しみながら読んだ」「主人公の職業が謎」「主人公の趣味が散歩であることからインテリっぽさを感じる」「建物に対する興味や愛着が、人間の営みには敬意を払うが、しかし人間とは関わりたくないという性格を反映している」「陰キャでラノベの主人公っぽい」「電車男を思い出した」「ペトラシェフスキー連座前で政治的含意がない貴重な作品」「宗教というテーマもない」「自分とわかり合える人間がいないという苦しみが現代的で普遍性がある」「ナースチェンカのような女性はたしかにいる」などの声が聞かれる。

 30年ほど前にモスクワとペテルブルクで生活した経験のある参加者から「たしかに当時も、時季が来ると都市には家族や友人同士でダーチャに向かう人々の流れが起きていた」「8年も生活していて誰からもダーチャに誘われずに取り残される心細さや苦しさは、例えるならクリスマスに独りで過す『クリぼっち』に近いのかもしれない」という見解が示され一同頷く。

 ここで私が久々の再読後に得た確信を披露す。主人公の青年は必ずインセル・ローンオフェンダー・テロリストになる。

ja.wikipedia.org

この作品はその前日譚である。孤独な弱者男性である青年は、やっと自分のことを理解してくれる、しかも女性が現れたと舞い上がり、熱狂するが、彼女はあっさりと他の男の元へ走っていく。裏切られたと感じた彼は自身の空想癖も相まって、最初は女性、やがて社会に対する憎悪と怨恨を募らせてゆく。彼が現代アメリカに生きていれば、銃器を購入して銃乱射事件を起こすことは間違いない。社会変革のため政府転覆を狙ったテロを起こすことも考えられるが、彼は内向的で社会性が無く内に閉じており、可能性は低いだろう。いずれにしても、16年後の『地下室の手記』に連なる作品である。名前を持たない点でも地下室人と共通しており、地下室人の過去とも捉えられる。ドスト自身がテロリストなのだから、いい線いってると思う。と主張。喝采を受ける(受けたはず)。

 第2部は女性参加者が2名のグループ。冒頭、やはり男性参加者の間で「ナースチェンカは思わせぶりである」「たとえば女性と二人きりで食事に行き、これはワンチャンあるかと思いきや女性からすれば『ただご飯食べに行っただけ』みたいな感じ」など盛り上がっているなか、女性参加者は茫然としている。女性の意見を聞いてみる。

「ナースチェンカも悪いとは思うが、主人公からは女であれば誰でもいいという印象を受ける」「ナースチェンカそのひとである必然性が感じられない」「カズオ・イシグロ『日の名残り』に似ている」「思い出話系」などの声。

 私のインセル読みを披露する。女性陣から「そんな馬鹿な」「ナースチェンカはきちんと手紙で事情を説明している。筋は通している。あとは主人公が手紙に返信すれば良いだけでは?」との声。

 私は、インセル弱者男性に筋もクソもない、勝手に裏切られたと感じて逆恨みして、勝手に憎しみを募らせ暴発するに違いないと主張。

 女性参加者から「弱者男性とおっしゃいますがその定義は?」と質問。

「容姿に恵まれず異性にモテない、相手にされない」「コミュ障」「社会的に評価される職業に就いていない」「不安定な雇用形態」「経済的困窮」などの回答。

「わたしが思うに、社会的ステータスではなく、そのメンタリティこそが弱者男性を弱者男性たらしめているのでは」と女性参加者は主張。たしかにそうなのかもしれない。ただ、「それができたらダーチャに行ってる」ということで決着。

 今作は男女で受け取り方に明確な違いがあるように感じ、おもしろかった。

 

 読書会終了後、飯田橋付近の居酒屋に移動しての懇親会。

 女性参加者の方々に結婚観などをお聞きする。

「人によると思いますけど、最初のうちに判断する人と長い目で見る人がいるような気がします」

「転職して収入が増えたんですけど、なんか婚活の意欲が無くなっちゃったんですよね。ただ、電車に乗ったり街を歩いてるときに家族連れを見ると、孤独を感じることがあります」

 私が質問する。

「皆さんの職場ってジェンダーに偏りはないですよね? 昨今、未婚独身男性社員なんてたくさんいるのでは?」

「わたしの職場では30代手前くらいまで全員既婚者です」

「わたしの勤め先にもたしかに男性はたくさんいますけど、誰でもいいってわけじゃないですからね。以前職場の男性同僚社員と食事に行ったんです。わたしは友人として接してたんですけど、唐突にペンダントのネックレスをプレゼントされたんです」

「いきなりアクセサリーとはこれまた重いですねえ……」

「突然のことだったのでびっくりしちゃって、その場では受け取ってしまったんですけど、後日返して、距離を置いたんです。そしたらnoteに『ぬいペニ扱いされた』って書かれたんです」

「なんですか? その、ぬいペニってのは?」

 私は知らなかったのだが、正式名称を「ぬいぐるみペニス現象」または「ぬいぐるみペニスショック」といい、女性が「無害で仲の良い友達(ぬいぐるみのような存在)だと思っていた男性から、突然恋愛感情や性愛を向けられたとき」に感じる強い嫌悪感・ショックを表すネットスラングであるらしい。なんというネーミングセンスだ。

dic.pixiv.net

 その後、最近読んだ本、おすすめの本や作品についてや、朝の通勤ラッシュにも「アタリの満員電車」と「ハズレの満員電車」が存在するとか、グループYouTuber「雷獣」や東大理三受験界隈・日中韓三つ巴状態の話や、wakatte.TVの太ってない方は矢面に立ってなくてムカつくから嫌いなどの話で盛り上がる。

 話題は劇場版『ちいかわ』に及ぶ。ちいかわ好きの女性参加者は「社畜ほど刺さります。わたしは序盤ちいかわ達が働いている姿を見て号泣しました」と発言。「そんなまさか」と笑っていると、ちいかわファンの男性参加者が「原作厨もニッコリの完成度ですよ」「音と声が神の手でコントロールされているんです」と絶賛。私もまずはアニメ版から試しに観てみることを決意。

 女性参加者のなかに投資をされているかたがいたため、ある国や地域の経済発展度合いと社会の成熟度合いを推し量ることができる、私のとっておきアノマリーをお教えする。

「何だと思います?」

「あ、わかりました。ヘムライン指数、女性の履くスカートの長さですよね。好景気だとミニスカートが流行って不景気だとロングスカートが流行るってやつ」

「ああ、有名なやつですね……。違います……。それはずばり……SMクラブの数ですッ!」

「……え? えすえむくらぶ……?」

「そうです! 女王様がムチをピシーッ! ってやるやつですね! 発展途上国にSMクラブは無いんです。みんなが人民服を着てチャリに乗ってる頃の中国には存在しませんでしたが、今やSM大国です。最近は以前までまったく見かけなかったタイやベトナムでも観測されてますが、それは経済が発展し、社会が成熟し始めてるからなのですよ! SM文化を享受するにはカネと暇が必要なのだとぼくは見ています! 女性の社会進出とも関係があるでしょうねえ!」

「絶対違うと思います」

「関係ないでしょうね」

 女性陣、失笑。ChatGPTにも否定される始末。

「もうちょっとその論を補強しておいてください。だいたい、どうやって観測してるんですか?」

「X、旧ツイッターですよ、もちろん!」

「橋元さんのタイムライン、なんかすごそうですね……」

 2時間弱に及ぶ懇親会は盛況のうちに終了。各々飯田橋駅より解散す。路線が同じ先輩と女性参加者のかたとホームでしばし立ち話する。

 帰宅。入浴、就寝。

 

10月6日(火)

 夜、賃労働を終えて帰宅。入浴後、PCを立ち上げると、見慣れない宛先からメールが届いている。

「初めまして。真央と申します。ブログを読みました。配信も聞きました。とってもおもしろくて、直接会ってお話しがしたいので、良かったら今度一緒にご飯行きませんか? 無理はなさらなくて大丈夫です!」

 私は自分の目を疑った。あり得ない。まず疑うべきはイタズラ、各種詐欺、宗教勧誘、美人局といったところだろう。

 深い懐疑の目を向けつつ、しばらくメールのやり取りをしてみると、送り主は20代の会社員女性であるらしい。

 お褒めの言葉を頂き嬉しいが、私は醜男であるし、おもしろい話など到底できそうにもなく、会った瞬間に先方を落胆させること必至であるからして、丁重にお断りの返信をしたためようとしたものの、例えイタズラや詐欺であったとしても、これはブログのネタになるなと思い直して承諾す。

 イニシアチブを取るため、店はこちらから提案する。以前、同い年の旧友から話を聞いて気になっていた「味坊集団」が展開するガチ中華の店を希望、快諾を得る。日時を決め、半信半疑のままやり取りを終える。一体どうなってしまうのか。

 

10月11日(日)

 先日メールをくれた女性との約束の日。

 午前、起床。バナナを食べ、知覧茶を淹れて飲む。昼過ぎ、電車に乗って秋葉原へ向かう。

 連休の中日ということもあってか、真っすぐ歩けないほどの凄まじい人出で賑わっている。海外からの観光客と思われる団体が多い。

 待ち合わせの時間までは余裕があるため、神田ふれあい橋を渡って書泉ブックタワーへ本を買いに行く。

 書泉ブックタワーは一階に英語版のマンガや旅行ガイドブック等のコーナーが設けられており、海外からの観光客と思われる人々で賑わっている。文庫や新書を数冊購入する。

 その後、待ち合わせ場所である店舗前付近に向かう。メールで私の服装や持ち物を伝えておく。しばし待っていると、若い女性に声をかけられる。

「橋元さんですか? 初めまして、真央です」

 そこには、白のパンツに黒のノースリーブニット、黒髪ロングを後ろでまとめ、顔には柔和な微笑を湛えた、スタイルの良い麗しき女性が立っていた。

「……え、あ、ハイ……。初めまして……。立ち話もなんですから、お店入りましょう。予約しておきましたので……」

「入る前に写真を撮らせてください。ブログに載せたいんで」

 店の外観の写真を撮って入店。席に着く。

 私は漢方ハイボール、彼女は白酒ハイボール・通称バイボールを頼む。店のコンセプトは「中国ファミレス」らしく、周囲の、主に中国人客を見ていると、酒を飲むというよりは食事をしに来ている者が多いという印象を受ける。

「すいませんね、ぼくの好みに付き合わせて。一人じゃどうも入りづらくて」

「わたしも気になってたんです。系列のお店には行ったことあったんですけど」

「じゃあ……とりあえず……この出会いに、乾杯……」

 彼女は笑う。

「はい、乾杯!」

 まず確認しておかなくてはならないことがある。

「真央さん、ぼくは今日のこともあなたのことも、訳のわからない文章に仕立て上げてブログに公開しますよ、あなたをダシに使うってことです。いいんですね?」

「はい、むしろ光栄です。8月の『日記』も読みました。第三者としては読んでいてとてもおもしろかったんですけど、でも、自分をモデルにあんなふうに生々しく書かれたら、誰だって良い気持ちはしないと思いますよ? お友だち、怒らせちゃったんですよね?」

「おっしゃる通りで……。どうなんでしょうねえ……最近はぼくの宣伝ツイートに『いいね』してくれなくなったのは確かですが……」

 料理が到着する。羊肉の串揚げ、東北地方の野菜サラダ、よだれ鶏、〆に黒酢で食べる三鮮水餃子。

「あなたの手元を写した写真を撮ってもいいですか? すぐに『フカシ』だとかぬかすヤツがいるんでね。あと『匂わせ』効果も発揮できると思うので」

 料理はどれも美味。飲み食いしながら話す。

「それで、なんでメールくれて、わざわざぼくに会いに来てくれたんです?」

「メールにも書きましたけど、ブログを読んで配信を聞いて、おもしろいひとだなと思ったので、お話ししてみたくて。ブログはまだ全部は読んでないんですけど、配信は何回も聞いていて、大体どこで何をしゃべるのか覚えちゃいました」

「そんなにおもしろかったですか? 嬉しいですよ。実際に他者を、あなたを動かしたんだ。ぼくの書いた文章や喋りにはそれなりの力があったってことだ。ぼくの企ては成功していると言えるでしょう」

「あるユーチューバーが言ってたんですけど、男性は『モテ』に振る人と『おもしろ』に振る人のどちらかしかいないらしいんです。橋元さんは『おもしろ』に振っている人ですよね」

「全然おもしろいとは思えませんが……。まあ仮にぼくが『モテ』に振ったところで何の意味もないですから。空振りに終わるだけでしょう、そんなの。路傍の石ころはどんなに磨いたってただの石ころですよ。それに、取り繕ったところで、必ずボロが出ます」

「わたしはおもしろいひとと、本を読むひとが好きなんです」

「おやおや、雲行きが怪しくなってきましたねえ。ぼくはそのどちらにも当てはまらない。真央さんは読書がお好きなんですか?」

「はい、日常に本があります」

 どんな本を読んでいるのか聞いてみると、古典から現代まで、エンタメ、SF、時代小説、海外文学など、聞いたこともない作家や作品の名前が次々に飛び出してくる。自宅の本棚を写した写真を見せてもらうと、一面本で埋め尽くされている。これでも引っ越しの際に大半を処分した後であるという。

「まさに本の虫ですねえ。読んできた本は軽く1000冊は超えてるでしょうね。なぜそんなに本を読むんです? 真央さんはそこに何か求めるものがあるんですか?」

「わたしは小説読みなんですけど、ロールモデルを探しているふしがあるような気がします。わたしは寡黙で、静かに責任を引き受ける人物が好きで、自分もそういう人間になりたいのかもしれません。時代小説には孝行とか忠義、人情といった、現代では失われてしまった、人と人との繋がりが描かれています。そういう人間同士の結びつきも好きです。もちろん、前時代は良かったけど現代はだめとか、礼賛するわけではありませんけど」

「なるほどね。村上春樹についてはどう思います?」

「あー、橋元さんと一緒です。エッセイはおもしろいと思います。小説は好きじゃありません。性描写も、ここでそれ必要? って思います。昔の作品は大体読みましたけど、もう全然追ってません。『夏帆』もまったく興味ないです。村上作品の主人公って、みんな全然お金に困ってないんですよね。傍目から見ればむしろ豊かな暮らしをしてる。でも精神的な空虚に陥って、最後は死ぬっていうのが、もういいやって感じです」

「素晴らしい、完璧だ!」

 そうだ、村上春樹にとっての「普通」とは、東京は杉並区だか世田谷区の一戸建てに住み、父親は国立大の理系学部を卒業、ないし大学院を修了して食品会社やらの研究所で研究員として勤務、趣味はゴルフで休日はもっぱらゴルフ、母親も大卒で専業主婦、趣味は短歌で仲間とランチ、姉は東大を出て弁護士になり、コンサル勤務の男と結婚して日比谷公園そばのマンションを買って住む、というものらしい。なんとかの恋人とかいう作品にそんな感じのことを普通だと書いていなかったか。主人公の「僕」は学校の教師で教え子の母親と肉体関係。汗と泥と埃と油を被って働く人々はどこにいる? 休日には酒とパチンコと競馬しかやることがない父親はどこにいる? 引きこもり気味で女にモテない冴えない主人公は? 日々の生活にも困らず女と変態セックス三昧で「でも僕は」「僕」「僕」「僕」、ざけんじゃねえ。

「橋元さんもたくさん本を読んでますよね? 読書好きですよね?」

「読んでるフリをしてるだけで全然読んでませんよ。ぼくにとって読書は闘いであり、苦痛を伴います。さっさと資本主義ゲームに勝ってカネ持ちになって享楽を貪るつもりなので、そうなった暁には持ってる本なんか全部燃やします。そもそも意味ないんで、ぼくみたいな人間が本を読んで何かを感じたり考えたりしても」

「う~ん、ほんとかなあ……。橋元さん、ご自分のことを『信頼できない語り手』だって書いてましたけど、現実でもそんな感じがしますね」

「ええ、あまりにも適当すぎて、最近は自分でも一体自分は何をどう思っているのかわからなくなってきましたねえ」

「さっきおっしゃった『闘い』ってどういうことですか?」

「そう言っておいたほうがカッコいいでしょう……? すいません……真面目に話すとですね、ぼくたちはいずれ死にますよね。人間、というか生物には寿命があります、必ず死にます。

 最近、YouTubeで小林武彦っていう、東大の定量生命科学研究所で教授をしてる生物学者の公開講座を見たんです。導入はこんな話から始まります。彼には小学生の息子がいて、自宅でカブトムシを大事に飼ってたんですけど、夏が終わると死んでしまった。息子はたいそう落ち込んで、『エサもあげてたし、ケガしてるわけでもないのに、なんで死んじゃったの? お父さん生物学者だからわかるでしょ?』と尋ねてきたそうです。小林先生は『秋になると体液が固まってきて、最終的に動けなくなって死んじゃうんだよ』と答えたんですが、おそらく息子はそんな生理学的なことを聞いたのではなかった。

 なぜ生物は死ぬのか? なぜ死ななきゃならないのか? そういうことを聞きたかったのではないか。で、一応、生物学はこの問いに対する答えを持っている。生物学者たちは、地球上でいちばん最初に死んだものは何だったのかと考えたそうです。それで、死の起源を求めて38億年前まで遡ってみると、熱水噴出孔の周りで起こった化学反応によって合成されたRNAという有機物が最初に死んでいることがわかった。これはまだ生物ではないので、死ぬという表現は正しくないかもしれないんですが、とにかくコイツが、複製能力が高いものを選択して他のものは分解するという変化を繰り返して、生命のタネ、私たちの祖先、すなわちゲノム(DNA)となった。

 そういう進化の結果できた生物は最初から死ぬようにできており、死があるものだけが進化できて存在している、これまでの多くの生物の死があるおかげで今の私たちの生がある、死は進化のために必要な究極の利他的な行為だと結論付けられます。ぼくたちは後世の生のために死ぬんです。

 この夏に地元に帰って3歳の甥っ子と1歳の姪っ子に会ってきたんですが、よちよち歩き回ってにこにこ笑う彼らを見て、なるほど、こうやって生命は受け継がれていくんだなとしみじみ思いました。しかし、しかしですよ、とてつもなく長い目で見れば、たしかにそうなんでしょう、死は進化のために不可欠なんでしょう、自分が過去の厖大な生物の死から受け取ったバトンを次の世代へと渡さなきゃいけないんでしょう。だが、しかし、そう簡単に納得して受け入れられるものではない。小林先生は『(死は死んでしまう)自分にとっては1ミリも良いことはございません』と断言しています。

 ぼくはよく思います。不老不死が実現して、家族も友だちもずっと元気で、いつまでも楽しく暮らせたらいいのになあと。もちろんそれはそれでキツいっていうのもわかります、人間は飽きますからね、耐え難くなるのかもしれない、人口が爆発して地球のキャパを超えてしまうっていうのもある。仮に不老不死が実現し、人類が核戦争の危機を回避し続けて平和を継続したとしても、10億年後には太陽の膨張によって地球表面の温度は200℃に達して海水は干上がり、文字通り『死の惑星』と化し、生物が生存できる環境ではなくなってしまう。イーロン・マスクは地球外の惑星にコロニーを作るしか人類が生き延びる道はないと考えてるそうです。ガンダムとかマクロスみたいな話ですね。そのためにスペースXを立ち上げてロケットを打ち上げまくってるんだ」

「わたしは滅亡するとわかっていても地球に残ります」

「ほう! ぼくも同感ですね! さて、ぼくたちは死ぬ、地球が滅亡するとわかっていながら、なおこの星に留まり続ける、むなしいですよねえ。何をしても無駄だし意味ないですよねえ。どうせ何もかも消えて無くなるのだし、その前にぼくらは死ぬんだから、後世が、ぼくらの死によって繋いだものがどうなっているのか、ぼくたちは死んでしまっているがゆえに観察することすら叶いませんよねえ。なぜ生きるんでしょうねえ?」

「わたしは母のことが大好きなんですけど、母を悲しませたくないから生きているのかもしれません」

「でも、お母様はおそらくあなたより先に死んでしまいますよね? お母様が亡くなってしまったらあなたも死ぬんですか?」

「このひとを悲しませたくない……そのために自分は生きよう……そう思えるひとを探してるのかもしれません……」

「それは相手に依存しているだけだと言うこともできますよね。でもそういうものなのかもしれないな、人間は何かに依存しないと生きていけないのかも。酒とかギャンブルとか女とかブンガクとかゲージュツとかね」

 ここで3、4杯目の漢方ハイボールが運ばれてくる。彼女もバイボールを飲みまくって顔が赤くなっている。

「あの、真央さん……? そんなに無理して飲まなくても……。ぼくはもうウーロン茶にします」

「ええっ? ウーロン茶? だめですよ! 橋元さんまだ全然酔ってないですよね? ウーロンハイにしてください!」

「……へ? え、ええ……じ、じゃあウーロンハイで……」

 なぜ彼女はあまり強くないと思われるアルコールをガブガブ摂取しているのか、のちに明らかとなるのだが、この時はまだ知る由もなかった。

「長くなってしまいましたが結論としてはですね、どうせ死ぬし、すべては消滅するんだから何をやっても楽しくないし意味はない、しかしその事実を、涙を呑んで受け入れて、やはり生きていくしかない。カミュっぽく言えば抵抗していくしかない。死を経験した者は死んでしまっているから知りようがないが、死はどうやら苦痛を伴うものであるらしいから、自殺はしたくない。与えられた生をなんとかして肯定しなければならない。実際、自分だってその苦闘の足跡に勇気づけられてきたんだ。文学は、ミームは残すことができる。自然科学の法則や数学の未解決問題なんて放っておいたって天才が、天才が現れなくとも、いずれAIが発見し解決してくれるんだから、ぼくにとってはどうでもいい。などとそれっぽいことを言って権威づけているわけですが、最近はやはりボロが出てきてしまっている。ぼくは性根が大変怠惰にできており、職場と自宅アパートの往復を繰り返すだけで他には何もしていないししたくない。話題を変えましょう──。お休みの日は何をしてるんですか?」

「最近はテニスをしています。家にいるときはお茶を飲みながら本を読んで過ごします」

「アクティブかつ高貴ですねえ! もうここまで来たんだ、失礼を承知で根掘り葉掘りお聞きしますよ! 結婚願望はあるんですか? 子どもを欲しいと思いますか? 交際経験は? 別れた理由は? ぼくはここらの事情に疎いんですよ! ぜひ教えていただきたいんです!」

「結婚は……どうなんでしょう、結婚はしなくても、パートナーは欲しいと思います。子ども、というか、妊娠出産は怖いという気持ちが強いです。やっぱり女性のほうが肉体的にも精神的にも負担が大きすぎるんじゃないかと思うんです。もっともこれは今の時点でそう思うっていうだけで、結婚したりすれば変わるのかもしれません。わからないですね」

「勉強になります!」

「ジェンダー平等っていう理念はわかるんですけど、わたしは女性には女性にしかできないこと、男性には男性にしかできないことってやっぱりあると思うんです。わたしは男性には男性固有のものを求めます」

「これまでお付き合いしてきたひとはどんな感じだったんです? なぜ別れたんですか?」

「最近まで付き合ってたひとは、わたしモンハンとかポケモン好きなんですけど、彼もゲームが好きで、料理もしてくれて一緒に食べたりして、とても楽しかったんですけど、仕事や職場の話を家に持ち込まないでくれっていう考えのひとだったんです。わたしはできるだけお互いのことを共有したい人間なので、すごく寂しいなと思って」

「それは酷いな! ぼくは友人のことも同時代を生き抜く戦友だと思ってますからね! 人生を共に歩むパートナーなんて尚更だ!」

「それに、一番の問題は、これまで付き合ったひとたちは全然本を読まないということでした。わたしはさっきもお話ししたように、日常に本がある生活をしてます。読んだ本、好きな作家や作品について語り合ったりしたいんです」

「ぼくは本なんぞ読まない、読めないが、しかし本を読む男なんて腐るほどいるでしょう! 真央さんはマッチングアプリやってないんですか? あれは好きな物事や共通の趣味を持つ相手と繋がれる仕組みが──」

「わたしの周りには本を読むひとが全然いないんです。マッチングアプリはやってないし、やるつもりもありません。そうだ、マッチングアプリで思い出しました。わたし信じられないんです、橋元さんが7年間もマッチングアプリやってて一人も会えなかったってことが。たしかに書いてることはめちゃくちゃなことが多いですけど、こうしてお話ししていても、すごくしっかりされてるし、なんというか、まともなかたですよ、橋元さん。やっぱりアプリじゃそのひとの人となりはわからないっていうことだと思います」

「その話ですか。以前女友達とマチアプの話をしたんですが、彼女は同時に複数の相手とやり取りするのが大変だっただけで、いろんな人と関われて楽しかったと言ってました。ぼくはすごい性差を、婚活に対する認識の乖離を感じた。例の記事でも書いてますが、マチアプの運営会社で働いてる友人の話では、そもそもの登録者数が圧倒的に男性に傾いてるんです。ぼくがメッセージを送っても大半は無視、気づいたら相手は退会してる、そんな感じですよ。でもあなたは違います。やってみればすぐに──」

「やりません!」

「素晴らしい気概だ! いいでしょう──、だいぶ温まってきましたね! あなたは本読み、特に文学、小説読みと交際したいとおっしゃいますが、ある批評家が言ってましたよ、小説読みは貧乏人ばかりだとね。ぼくも文学好きはクズが多いと思います。クズだから文学が好きなのかはわかりませんが。いい歳してカネも持ってない拗らせ軟弱男なんかより、ビジネス書や実用書、自己啓発書を読み漁ってバリバリ働くカネ持ち頑強男のほうが──」

「嫌です!」

「なるほどだめですか!」

「もちろんお金は大事だと思いますよ。自己防衛のために絶対必要だと思います。だからわたしは仕事を投げ出すことはできません。仕事は捨てられません」

「カネに関しては同感です。しかし文学好きは女にだらしないやつも多い。浮気されるでしょうね」

「橋元さんも浮気するんですか?」

「当たり前でしょう! 据え膳食わぬは男の恥、特にぼくはモテないから、ちょっとでも言い寄られたら味見したくてたまらなくなるでしょうねえ! へ、へ!」

「えー、それは無理です!」

「ちなみに、真央さんの中では風俗は浮気のうちに入りますか?」

「入ります! わたしじゃ満足できてないのかなって寂しくなっちゃうと思います」

「これはぼくがそうだって言ってるわけじゃないんですが、彼氏がとんでもなくエグい性癖を持っていて、大切なあなたにはこんなこと求められないと気遣って密かに通っていたのだとしても?」

「もしそうでも、相談はしてほしいです。できる限り共有したいです。なんでも話してほしい。応じられるかどうかは別の問題ですけど……」

「じつに勉強になるなあ。あなたは素晴らしい女性ですね」

「橋元さんはもしそういう気持ちになったらどうやって処理するんですか?」

「昔はよく行ってましたよ。大体のジャンルは体験しましたね。最近はまったく行ってませんし、そういう気も起こりません。枯れてるんです」

「うそ! そんなことないでしょう!」

「ぼくの悪い癖だ、どうしていつも性の話になるんだ! ところで、真央さんは文学フリマというイベントをご存じですか? 今度ぼくも出る予定なんですが、足を運んでみては? プロも参加しますし、アマでも、びっくりするくらいの爽やかイケメンが自分で作った本を売ってたりしますよ」

「文フリは……行ったことないですけど、気にはなってました」

「真央さんも何か書いてみればいいんじゃないですか? noteでもなんでも。絶対おもしろいと思うけどな。それだけたくさん本を読んで毎日アクティブに過ごしてるんだ。ぜひ読んでみたいですね」

「わたしは書けないし、書く必要もないと思います」

 私たちのグラスが空いた。注文した料理も食べ尽くした。

「ガチ中華って一皿の量が多いから結構お腹いっぱいになりますよね」

「そうですね。あの、橋元さんって、タバコ吸うんですか? 吸いに行きません? 普段は吸わないようにしてるんですけど、お酒飲んじゃうと我慢できなくて」

「いいですね、行きましょう。なんならそのあとコーヒーでも飲みながら一服しましょう」

「ちなみに、さっきからずっと気になってたんですけど、それ書泉の紙袋ですよね? 本読まないのに本屋さんに行って本を買ったんですか?」

「ギクギクゥ! うっ!」

「ちょっと見せてください!」

「あ、ちょっと!」

「あーっ! 劉慈欣『三体』の文庫版全部買ってるじゃないですか! あとは稲田豊史『ポテトチップスと日本人』、ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』!」

「あ、え、いや、こ、これは、その、あの、えと、街を歩いていたら偶然書店があって、暇つぶしに入ってみたところ、偶然文学コーナーに辿り着き、偶然発見した『三体』は、先日大学時代の先輩に無理やり連れて行かれた読書会なるイベントに参加していたかたが猛烈に推していて、自分でも東浩紀や小島秀夫といった著名人が推薦しているのを見て、なんたる偶然、普段全然本は読まないけどチャレンジしてみようかなと、その、思った次第で! あとの2冊については、なんだかおもしろそうだったので、普段全然本は読まないけどチャレンジしてみようかなと、その、思った次第でありまして!」

「橋元さん言ってることとやってることがめちゃくちゃです! 混乱してきました!」

 わちゃわちゃしながら会計を済ませて店を出る。外はどっぷりと暗くなっている。昭和通り沿い、首都高高架下の薄暗い喫煙所に歩いて向かう。私はアイコスを取り出して吸う。彼女はマルボロを咥えてライターで火を点け、深く、ゆっくりと吸い、旨そうに煙を吐き出す。

「橋元さんはどんなときに吸うタバコがおいしいと思いますか?」

「そりゃあセックスしたあとの一服でしょうねえ」

「橋元さんにしてはひねりがないですね」

 彼女はにこっと笑う。ジリジリと音を立てるほど、フィルターの根本ギリギリまで吸っている。そしてフゥーとひと際大きく煙を吐き出して、何か決心したかのように身体を私のほうへと向き直す。

「橋元さん、もし、身の回りの女性から、付き合ってくださいって言われたら、そのひとと付き合いますか?」

「え……? いや、それは……どういう? いや、どうだろうな……わからない……。たぶん、断ります……付き合わないでしょう」

 嗚呼、私は天を仰いだ。彼女は私に好意を抱いてくれている。そして、驚くべきことに、暗に交際を申し込んでくれているのだ。彼女が飲めない酒をバカスカ飲みまくっていたことにも合点がいく。勇気を振り絞ってくれたのだ。しかし、私は終始言葉を濁し続けた。

「どうしてですか?」

「独りで生きることに慣れきってしまって、いまさら誰かと付き合うなんて、想像もできませんよ」

「そうですか……」

 彼女は根元まで吸ったタバコを灰皿にストンと落とす。

「もうちょっとお話しましょう」

 喫煙所を後にして、タバコが吸える喫茶店、ルノアールに向かうも、ちょうど閉店の時間となっており、エレベーターのボタンが反応しない。秋葉原がビジネス街であり、夜は早い時間に店が閉まってしまうことを失念していた。開いている適当な居酒屋に入る。私は気まずくなってしまい、どうすれば良いのか、何を話せば良いのかわからず、お通しのキャベツを齧ってやり過ごす。

「うーん、わたし、玉砕しちゃったなあ……」

 彼女は唇を尖らせて俯き、身体を前後に揺らしながら呟く。

 彼女は若く、美しく、聡明で、誠実である。そういう素晴らしい女性から好意を寄せてもらったこと、勇気を出して会いに来てくれて、決死の思いで交際を望んでもらったことは、嬉しかった。そんなことはあり得ないことだ。「ブログを書いてるとモテる」と同い年の旧友が言っていたことは本当だったのか。しかし、彼女の、20代の時間は貴重である。その貴重な時間を、私のような愚昧愚劣な人間と交際して費消してはならない。私は彼女のことが心配になった。

「ぼくがあと10歳若ければ、即承諾してたと思います。張り巡らした蜘蛛の巣にノコノコ捕まりに来た蝶を、あなたを帰したりはしない。互いに性的同意書に署名捺印のうえ、このままホテルに連れ込んでオフパコです。迸る熱いパトス! むぎゅっと抱きしめヌプクチュと舌をねじ込んだディープキッス! いや、そんなまどろっこしいこと抜きで出会って3秒で合体だ。……え? あ、いや、こっちの話です、検索しなくていいですから! でもね、ぼくはもう歳を取りました。そんなことできません」

「タイミング、ですね……。でも、歳って、橋元さんまだ30代ですよね、なんで諦めに至ったんですか。早すぎます、もったいないです」

「あなたはぼくのことを買いかぶってますよ。視野狭窄に陥っていると言ってもいい。さっきも言ったけど、そもそも、ぼく、本なんか読まないですよ。それに、付き合うって、付き合って何するんですか? こまめに連絡を取り合う? たまにはデートしてセックスする? ……だめだ! ぼくは日々の賃労働と生活で疲れ果ててしまってるんです。仮にあなたと交際を始めたとしましょう。その瞬間に、ぼくは仕事を辞めます。ぼくは働くことが心底嫌いな卑劣漢ですからね。そしてあなたの家に上がり込んで昼間から酒を飲み『真央~、腹減ったんだけど、メシまだあ~?』とか『お前の体調なんか知るかよ、とっととヤらせろよ!』とか『欲しい株あっからカネ寄越せ! 俺は投資で成功して億万長者になるんだ! てめえは黙って種銭稼いでりゃいいんだよ!』と管を巻きながらあなたを殴ります。ひとしきり殴ったあとは『ごめん、悪かった。俺は最低最悪な男だ! 俺を許してくれ……。俺の味方でいてくれるのはきみだけだ、きみだけがぼくの理解者だ……。ぼくを見捨てるのか……? 頼む! 見捨てないでおくれ! 頼むよォ! きみがいなくては、ぼくは生きていけないんだ!』とあなたの脚元に縋りついてさめざめと泣き、喚き、あなたを抱いて寝ます。しかし、次の日にはもうすっかり何もかも忘れ、『真央~、朝メシまだあ~?』それでいいんですか?」

「うそですね。橋元さん、やっぱりわたしの想像していた通りのかたでした。本当は違うのに、そうやってわざと露悪的なことを言って人を寄せ付けないんですね。今日お話ししていて、今までもこういうふうに自分から女性を遠ざけてきたんだろうな、橋元さんには他人の入り込む隙間が無いなって思いました。でも、だから橋元さんは文章を書く人なんだろうな、わたしには書けないんだろうなってことがわかりました」

 彼女は物思いに沈みながら、グラスに付いた水滴をしきりに指でぬぐっていた。

「ああっ! わたし、もう結婚どころか信頼できるパートナーもできる気がしません!」

 突然そう叫ぶと、テーブルに顔を突っ伏してしまう。

「何を言ってるんです? そんなわけないでしょう!」

 彼女は一瞬顔を上げて力なく微笑むが、すぐにまた元通りテーブルに顔を埋めてしまう。

 あなたは美しい。あなたは旺盛な知的好奇心と瑞々しい生命力に満ち溢れている。立派な会社に勤めてまじめにお仕事されている。あなたは幸せにならなくてはいけない。私には甲斐性が無い。働くことが嫌いな男はだめである。男を見る目を養わねばならぬ。知的で、身体を動かすこと、働くことが好きで、いっぱい稼いでいて、どんな困難にも負けず向上心を持ち、いつも朗らかな、あなたにふさわしい男を選ぶが良い。そして彼に「ね、この本すごくおもしろかったんだけど、読んでみて!」とすすめれば良い。そうだ、それで行こう。

 間違ってもドストエフスキーなんぞを、「うはw これ俺のこと書いてあるやんけw 傑作すぎワロタww」「ギャンブラーの心理描写的確すぐるw 俺も1時間で運命変えたろwww」などと、背景の思想や信仰ガン無視で読んでるようなゴミクズ人間を選んではいけない。私小説好きもやはりだめだ。間違っている。

「終電の時間ですよ、そろそろ帰りましょう」

 私にはここであなたを家に帰す責任がある。私はあなたのご両親やご家族に顔向けできるような人間ではない。頭が悪く性根はクズの田舎者、勤め先は弱小中小企業で底辺職に従事し低収入。人生を共にする女性がいたとして、私はその女に苦労をかけさせない責任を負う。ご両親やご家族にとって大切な女性を預かる男の義務である。果たせないなら共になってはならぬ。女を幸せにできないなら男であることをやめる。幸福の定義は知らない、わからない。だが私は確信す、私は幸せになるために生きているのではない、むしろ幸せになどなりたくないのだということを。

 え? そういう時代じゃない? あざーす! 仕事辞めやーす! やっぱこれからは女性がガンガン外に出て命がけで働かなきゃね! 男に苦労かけさせんなよなあ!? ぼくを幸せにしてもらっていいですか? ぼくのことケアしてもらってよかですかあ!?

 ガヤガヤとうるさかった居酒屋も、終電の時刻が迫ると一斉に客が帰り支度を始めて喧噪は鳴りを潜める。私たちも店を出て駅に向かって歩く。

「大変失礼なことを言いますけど、真央さん、あなたも物好きなひとですね。物好きな女性って本当にいるんですねえ」

「それは橋元さんご自身に対して失礼な発言だと思いますよ」

 彼女は身体を傾けて私の目をしっかりと覗き込みながら笑ってくれる。

「ねえ、ぼくたち今日出会ったばかりですよね。徐々に深まっていく関係っていうのもあるんじゃないでしょうか──、って、こんなことを言うんじゃ卑怯だな、ぼくは」

「わたし、今日お誘いして良かったです。とっても楽しい時間でした」

「ぼくもいろいろと深い話ができて楽しかったし、嬉しかったですよ。また誘ってください」

「それって、橋元さんから誘ってくれることはないってことですか?」

「誘ったら来てくれるんですか?」

「もちろん!」

「わかりました。また会いましょう! 道中気をつけて!」

「はい! これからもよろしくお願いしますね!」

 駅で別れて電車に乗る。途中で乗り換え、久々に最終電車に乗る。親切なことに、他路線から乗り換える乗客を待って発車してくれる。

 帰宅、入浴して万年床煎餅布団に横になる。いまだに今日の出来事を現実とは思えず。まったくの無名、浅学菲才の身である自分が垂れ流した文章や配信を見ず知らずの人間が発見し、それをおもしろく思って、わざわざ連絡して実際に会いたいとまで感じてくれるとは、まったく予想もしていなかったことで、しばし茫然とする。

 記憶が薄れないうちにと執筆に取りかかるが、なぜか筆が進まず。結局1ヶ月近くを費やすこととなる。

 

10月21日(水)

 午前、起床。知覧茶を淹れ、ネオレーズンバターロールを齧る。出勤。

 職場ロッカーの扉に紙が貼られている。元テレビ番組・映像制作会社ディレクターの篠原さんが、沖縄は小浜島土産を買ってきてくれたとのこと。ロッカー下のスペースに、土産屋のビニール袋に包まれた重い箱が置かれている。ありがたく頂戴する。

 賃労働を終え帰宅後、さっそく開封してみると、南都酒造「35(サンゴ)リキュール泡盛珈琲」が入っている。売り上げの一部を沖縄のサンゴ礁再生のために使うらしい。

 箱に記載されている説明書き通り、氷を入れたグラスで6:4の水割りにして飲む。美味。アイスコーヒーを飲んでいるかのごとくゴクゴクいけてしまうため危険な酒である。

 そういえばアニメ『ちいかわ』第264話で、「栗まんじゅう」がゴーヤチャンプルを肴に泡盛を飲んでいたところ、「シーサー」がブラックコーヒーを手にやって来てその泡盛に注いでやり、ためらう栗まんじゅうに飲んでみるよう盛んにすすめ、意を決して飲んでみた栗まんじゅうは「ハーッ!」と感嘆のため息を漏らすという場面を観たばかりであったため、なかなか感慨深いものがあった。

 

とある男の日記(ダイアリー)2026年9月編

nobugorodo.hatenablog.com

 

9月1日(火)

 もう8月が終わってしまったことに愕然とする。9月はさらに早く過ぎ去るだろう。 

 知覧茶を淹れて飲み、ブルガリアヨーグルトを食べて出勤。ロッカールームに入ると、すべて使用されていたはずの、私と同じ列のロッカーのうち2つに名札が貼られていないことに気づく。おそるおそる取っ手に手をかけてみる。鍵はかかっていない。開けてみると中身は空っぽである。

「よっす橋元。グラセフのPV見た?」

 私と同い年で同学年、俗に言う「タメ」である児嶋(こじま)が通りかかる。かつては他にも私とタメである社員が複数人いたのだが、全員が退職してしまった。

「見たけど、どうせやることは毎回同じ、ひたすらお使いゲーだろ。で、最後は銀行強盗。まあ、あれは現代のアメリカとは何かっていう思想をゲーム上に構築してプレイヤーに体験させるってもので……って、そんなことより、ここのロッカーの2人、どうした?」

「8月いっぱいで辞めたってよ」

「なんで? 理由は?」

「ひとりはこの前入ったばっかの人で『こんなに報われない仕事だとは思わなかった』ってさ」

「なあ、そんな理由で辞められるってマジで羨ましいよな。まあ結構歳いってたし、たんまり貯えがあるんだろうな。てかよ、逆に、報われる仕事って、なんだ?」

「さあ……、何かものを作る仕事とか?」

「俺はどんな仕事だろうが、『報われた』なんて思った時点で嘘だと思うけどな。で、もうひとりは?」

「うつ病で休職してた保谷さん。奥さんから『これ以上夫を苦しめないでください!』って電話が来て、そのまま奥さんが退職の手続きしたってよ」

 保谷の話なら聞いていた。彼らは30代で、夫婦の間に子はいない。その理由は本人が語っていた。妻は夫を溺愛しており、もし子どもが生まれれば、夫の愛情が子どもに向かってしまう、そうなったら嫉妬心から子どもを殺してしまうかもしれない、彼女は常々そう言っていたらしい。だから夫婦の営みはほぼ毎日ありながら、コンドームと低用量ピルの合わせ技で避妊を徹底していたという。今回の退職に関しても、あなたが今後ずっと働けなくてもわたしが働いて稼ぐから、あなたは家にいればいい、お願いだからあなたを苦しめるそんな会社辞めて、と説得したらしい。事実は小説よりも奇なり。つくづく、世の中は不平等で不条理である。こんなにも苦しんでいるのに、なぜ私にはそのような女性が現れないのか? 私だったら「え?w まじ?w 大丈夫そw? じゃあ、あとはよろしくうううぅwwww」と即答して家に引きこもってみせる。

「おいマジかよふざけんなよっつって! 羨ましすぎるって! 人生あがりかよっつって! それにしても、まーた休み取れなくなるのか……。人員補充は?」

「あるわけねえだろ、そんなもん」

「あのさあ、俺たちは些細なことでも、すぐに、やれ顛末書だ始末書だって話になるけどさあ、ここの上長とか本社のお偉いさん方は、こんなに人がすぐ辞めまくって、新しい人も全然採用できずに現場を疲弊させ続けてることに対して何か責任は取らないわけ? これそのうちマジで事業そのものが成り立たなくなるだろ。株主は経営陣に対して何も言わねえのかな。まあこんなクソ会社の株買ってる時点でクソ馬鹿だからしょうがねえか。あーあ、この会社のステークホルダー全員死んで地獄に落ちねえかな、俺以外」

「いまの話、畦(あぜ)さんに聞かせてやれよ、手を叩いて喜ぶぞきっと。あ、そうだ橋元、俺、IMAXオンリー先行上映で『オデュッセイア』観てきたんだけど、マジでヤバいから観たほうがいいよ。俺は神を、ゼウスの存在を本当に感じた。橋元、絶対好きだと思う」

 最後の一言を発する際、児嶋が一瞬、含みのあるニヤついた笑みを浮かべたのを私は見逃さなかった。

「お前いま笑ったよな……? 馬鹿にしてんのか? え、おい?」

「お前絶対好きじゃん、ああいうの。わかりやす過ぎるって」

「俺はそんなに単純な人間じゃねえ! それに、言われなくても観に行くっての!」

 賃労働を終え帰宅後、クリストファー・ノーラン最新作『オデュッセイア』を調べてみると、上映時間は3時間弱。『オッペンハイマー』の時も思ったが、長過ぎて途中でトイレ行きたくなる問題がある。しかし、今作は史上初めて、ノーランのかねてよりの望みでもあった全編IMAXフィルムカメラで撮影された超大作らしい。IMAXで鑑賞することを心に誓いつつ就寝。

 

9月6日(日)

 朝から猛烈な雨が続く。予報によるとしばらく雨の日が続くらしい。諦めて体を起こし、済まさねばならない所用のため、昼過ぎに電車に乗って池袋へ向かう。

 大学時代の先輩に教えてもらった、百貨店地下の書店を通り抜ける方法でジュンク堂へ行く。バーバラ・レオニ・ピカード『オデュッセイア物語』『イーリアス物語』(高杉一郎訳、岩波少年文庫)を映画の予習のために購入。大学生の頃買って読んだ岩波文庫のオデュッセイアを持ってはいるのだが、字も訳も古く、原典通り時系列もバラバラで読みにくいことこの上ないため。

 他に、福永武彦『古事記物語』(岩波少年文庫)、バタイユ『エロティシズム』(酒井健訳、ちくま文庫)、アレント『人間の条件』(志水速雄訳、ちくま文庫)、阿部幸大『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』『まったく新しいテクスト分析の教科書』(光文社)、猪瀬直樹『昭和16年夏の敗戦』(中公文庫)、辻田真佐憲『あの戦争は何だったのか』(講談社現代新書)を購入。

 来た道を戻り、百貨店にて、全国百貨店共通商品券を買い求む。これは、近々定年を迎える元テレビ番組・映像制作会社ディレクターの篠原さんのお祝いの品。労働者互助会の会計係としての任である。

 案内の店員は丁寧であったが、窓口担当の中年女性はぞんざいな態度で極めて無礼。軽き怒りを覚えるが、私は仏を目指す者、柔和に、下手(したて)に応ず。

「熨斗(のし)の表書きはどうなさいます?」

「定年退職のお祝いなんですが、雇用延長でそのまま勤務する場合、どうなんでしょう? 御祝か御礼──」

「御祝でいいんじゃないですか?」

 まだ話してる途中だろうが最後まで聞けい! 食い気味に答えるんじゃねえ! 「いいんじゃないですか?」って、なんで投げやりなんだおい! 友達かてめえは!

「では御祝で、贈答用の箱に入れて内熨斗でお願いします」

「お持ち帰りは封筒にお入れするだけでよろしいですか?」

 よろしくねえだろ! あんた今日出勤するとき雨に降られなかったのか? 天気予報見てねえのか? 濡れちまうだろうが!

「有料でも構いませんからビニール袋に入れてください。外はすごい雨でして……」

 めんどくさそうにビニール袋に包む店員。品を受け取って席を立つ。

「ありがとうございました(ヒゲヅラの小汚い中年男、どうせ独身だろう。早く帰れよ気色悪い)」

「ありがとうございました(接客業向いてねえよ、辞めちまえクソババア)」

 気を取り直して、地下の総菜売り場にて「かつ丼」を購入したのち、電車に乗って帰宅。入浴後、キリンラガービールを「かつ丼」で飲む。枕元のバンカーズランプをつけて購入した本をパラパラ読んでいるうちに寝る。

 

9月11日(金)

 午前、起床。一本満足バー亜鉛・マカ(ベイクドチェダーチーズ味)と知覧茶。始業時間よりかなり早く出社する。労働者互助会の会費余剰金を返金する際の準備のため。

 空いている会議室を借り、次期会計係の南原さんと一緒に総額40万円近いカネを会員別に封筒に入れる作業を行なう。無論、手弁当である。

 南原さんは役職未経験のため、来期も私が全面的にサポートすることになっている。

「すみませんね橋元さん。勝手がわからなくて、いろいろ教えてください」

「お気になさらず、何でも聞いてください。気をつけることは、収入や支出があったらすぐに帳簿につけておくことくらいですかね。後回しにしちゃうとワケわかんなくなっちゃうんで」

 名簿と照合しながらカネを封筒に入れ、金額と氏名を書いていく。

「失礼ですが、橋元さんって今おいくつなんですか?」

「34歳です」

「結婚されてるんですか?」

「いえ、独り身が板についちゃって、もう他の誰かと一緒に暮らすなんて想像もできないですね。それ以前に、ぼくは女性から徹底的に嫌われる性格と容姿と生活態度を持っているので」

「いや、偉そうなこと言って申し訳ないんですが、独身のほうが幸せかもしれないですよ。私バツイチなんですけど、前妻はとにかくカネ遣いの荒い女で、勝手に私のカード使われたりして、それは同棲してる時にはわからなかったですよ」

「なる……ほどですね……」

「飼ってた熱帯魚をトイレに流して捨てやがったんですよ? まさかそんなやつだとは思わなかった。子どもがいなくて良かったです本当に」

「な……るほ……どですね……」

 封入作業を終え、駄賃としてジュース代が支給さる。カネは金庫に入れて厳重に保管しておく。

 休憩室に入ると、近々定年を迎える元テレビ番組・映像制作会社ディレクターの篠原さんがソファに座ってメルセデスのカタログを読んでいる。

「篠原さんお疲れ様です。ベンツ買うんですか?」

「おお、はしもっちゃん、うん、国産は飽きたから外車でも買おうかと思ってね。はしもっちゃんもどう?」

 篠原さんは5000万円程の資金を個別株やオルカン、サテライトとしてビットコインに投資して運用している。

「クルマなんか買ったら破産します。乗らないし要らないし。そもそも乗り物なんて誰かに運転や操縦をさせるものであって、自分で動かすもんじゃないですよ」

「言えてるねえ。でも破産するってことはないだろう? はしもっちゃんは投資家なんだし」

「1円でも投資してれば貧乏だろうと投資家ですからね。ある有名な個人投資家が言ってたんです、1億円あってやっと100万円好きに使って良い、投資家にとってキャッシュは弾薬、弾切れしたらもう戦えないって。それで、どのクルマ買うんですか?」

「サーフボードを積めるクルマがいいんだよね。そうなるとGLEかな。ゲレンデは業界人とか成金がよく乗ってるから好きじゃないんだ」

「サーフボード? 最近ちょこちょこ仕事お休みされてますけどサーフィンしに行ってるんですか?」

「そうそう。天気悪くてほとんど乗れてないけどね。まあ仕事をするのは長くてもあと5年くらいかな。そしたら宮古島に別荘買うよ。行ったり来たりして毎日サーフィンだね」

「はあ……すごいっすねえ……。地元には帰らないんですか? っていうか篠原さん地元どこなんですか?」

「名古屋だけど、親も死んじゃったし、親戚づきあいもないし、もう縁がなくなっちゃったね。長いこと帰ってないなあ。まあ、帰る家もないからね」

「高校を出たあと東京に?」

「あれ、言ってなかったっけ? 日大の芸術学部に入ったのよ。中退しちゃったけど」

「初耳ですよ。ちなみになんですが、テレビ番組・映像制作会社時代の同僚の方々は、今どんな仕事をされてるんですか? それとも、もう仕事はせずに南の島で悠々自適の生活とか?」

「さすがに無理だね。そこらのサラリーマンよりは稼いでたけど、俺たちはあくまで下請けだから。たんまりカネを持ってて安泰なのは局の人間だけだね。個人事業で撮影と編集やってるやつもいるけど、ほとんどは全然畑違いの仕事をしてるよ。清掃のバイトとかタクシー運転手とか、焼き鳥屋の店員とか。起業したやつだと古着屋やったりね。全然儲かってないみたいだけど」

「なかなか厳しいですね……働くのって本当に大変ですからね……」

「はしもっちゃんも、ずいぶんストイックにやってるみたいだけど、やっぱりあれ? FIREを目指してるの?」

「そういうことになるんですかね。働くの向いてないんで。あとは本読んで映画観て創作してって感じですかねえ」

「いいねえ、クリエイティブだねえ。今の調子だったら早いうちに達成できるんじゃないの?」

「そんなに簡単じゃないですよ、こんなクソ安いゴミみたいな給料じゃ。ぼくの全財産はきょうびマンションの頭金にすらならない額です。ぼく、人生で何かが上手くいった例(ためし)がないんですよ。ぬか喜びと絶望を繰り返してるんで、絶対何かとんでもない、心をへし折ってくるようなことが起きる気がしてならないんですよねえ。起きてほしくない時に起きてほしくないことが起きるのが常ですから。たぶんFIREする前に事故か病気で死んでしまうんじゃないですか、苦痛と悔恨と絶望に苛まれながら。って、そんなことはどうでもいいんです、先日篠原さんご所望の定年お祝いの品である商品券を買いに百貨店に行ったんですが、なんか百貨店というより量販店みたいな感じでしたよ。売り場も低層階だったし」

「おお、ありがとね。あそこ、最近家電量販店が経営に参加してるらしいから、それもあるんじゃないかな。百貨店の贈答品を扱ってるフロアって大体上のほうの階にあるんだけどね。この国は貧しくなったよね。銀座にユニクロとかダイソーがあるなんて考えられないよ」

 そういえば地下の書店も閉店してしまうことをツイッターで知った。

 賃労働を終え帰宅。いつもより早く起床したため強い眠気に襲われ、飲酒せずに就寝。

 

9月12日(土)

 昼、日本料理店にて、労働者互助会期末定例会・引き継ぎ式兼、近々定年を迎える元テレビ番組・映像制作会社ディレクターの篠原さん定年お祝いの会が開催される。出席者は13名。ベテラン社員からの、「祝いの席なんだから、安居酒屋じゃなくてもっと良い店にしろ。若いやつらの分は出すから」との注文によって決まった店である。幹事は先輩中堅社員の一人。

 仲居の案内で一同座敷に通される。一人1万5000円、飲み放題(+2000円)付きの会席料理。最初の飲み物は生ビールをピッチャーで頼む。飲むペースが速すぎて、ジョッキでは交換が追いつかないためである。まずは前菜(酒肴)盛り合わせが各人の前に提供される。

 乾杯に先立って会長より挨拶ののち、「じゃあ会費余剰金を返金します。会計係の橋元君、よろしく」とお鉢が回ってくる。手提げの金庫を開けると、一同から喚声があがる。

「元々は俺のカネだぞ! 早く返せ!」

「どうせ返すなら最初から取るなよ!」

 脇をド突かれながら配って回る。

「お名前と金額が合っているかこの場で確認してください!」

「相違なし!」

「たったこれだけか? ゴルフクラブ買おうと思ってたのによ」

「今期は定年者祝い、弔慰金、見舞金等の支出が多く例年より返金額が少なくなってます!」

「それは仕方ない。そのための互助会なんだからお互い様です。会計係は面倒だし大変な役目だ、文句があるやつは自分で会計係に立候補しろ! 橋元君ありがとう、1年間お疲れ様でした! はい拍手!」

 散発的に拍手が湧き起こる。

「では次、篠原さんが定年を迎えられます。篠原さん、一言ご挨拶をお願いします」

「ちょっと待ってください! まだ飲み物が来てませんよ!」

 そう、一向に最初の飲み物(生ビール)が来ないのである。

「居酒屋じゃないとはいえ遅すぎないか?」

「もう20分経ったぞ」

 一同に苛立ちが募る。

「おい、ゴルァ! いつになったらビール来(く)んだよ!」

「さすがにおかしいな。悪い橋元、確認してきてくれ」

 出口に近い下座に座っている私に白羽の矢が立つ。

「行ってきます。原口、手伝ってくれ」

 念のため後輩社員の原口を借りる。座敷を出て渡り廊下を歩き、調理場があると思われる方向へ向かう。

「あ、橋元さん、ここじゃないですか?」

 原口が調理場を発見、おそるおそる中を覗いてみると、怒号が飛び交うなかを仲居たちが走り回っており、ただならぬ雰囲気が漂っている。

「あの……すみません……ビールは……」

「ああお客様ァ! 大変申し訳ございません! サーバーが壊れてしまって、炭酸が抜けたビールしかお出しできない状況です……」

「なんですって? 最初の一杯はビールじゃないと気が済まないどころか暴れ出す人たちなんですよ。瓶ビールはないんですか?」

「ございますが、飲み放題は生ビールのみのご提供となっておりまして……」

「いや、それは困ります。最初の5、6本だけでいいので出してもらえませんか?」

「かしこまりました……」

「あと、焼酎と氷と、割り材としてウーロン茶と緑茶準備してください。アルコールが入ってりゃ何でもいいんだ。どうせすぐ酔って前後不覚になっちまうんだから。ぼくたちも一緒に運びますから」

 中居と原口と共に瓶ビールや焼酎を座敷に運び込む。

「お、きたきた!」

「待ちくたびれたぞ! さっさと始めようや!」

 各々奪い合うようにして瓶ビールを手に取りコップに注ぎ合う。

「全員行き渡ったかな? では改めて篠原さん、一言ご挨拶を」

 篠原さんはコップを手にその場に起立する。

「まず、こんなにたくさんの方にお集まりいただいて、嬉しく思います。ありがとうございます。まったくの異業種からの転職で、最初はやっていけるか不安で心配だったんですが、とても風通しの良い職場で、みなさんひとりひとり個性的でおもしろくて、毎日楽しくて、すぐに馴染むことができました。少なくとも5年、あと5年は働きたいと思いますので、みなさん、何卒お手柔らかに、今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします」

「風通しがいい? どこが? 個性的? クセがあるの間違いだろ。物は言いようだな」

「5年と言わず10年15年いてくださいよ!」

「あ、忘れてた。橋元君、お祝いの品を贈呈してください」

「はい、互助会からお祝いとして商品券2万円分贈呈します!」

 手提げの金庫から商品券を取り出して手渡す。

「いいなあ、何買うんですか?」

「いやあ、嫁に全部渡すんで、デパ地下の総菜とかに使われるんじゃないですかねえ」

「さあ、みなさんお手元に飲み物は来ましたね? 今日は楽しい会にしましょう! こんなこと言っても無駄だと思いますが、くれぐれも粗相のないように、常識的な声量と振る舞いをお願いしますよ」

「あんたに言われたくない!」

「いの一番に手当たり次第絡みだして物をぶっ壊す男が何言ってるんだ!」

「それではみなさんのご健勝を祈願して、乾杯!」

「乾杯!」

 瓶ビールは忽ち空いてしまう。

「一応生ビールをお持ちしました……」

 仲居がピッチャーに注がれたビールを持ってくる。

「おい何だよこれ、こんなもの飲めるか!」

 試しに口をつけてみると、炭酸が完全に抜けている。たしかに飲めたものではない。アメリカの映画を観ていると、まずいビールや安物のビールを「piss」と表現する描写があるが、言い得て妙である。

 酒好きの労働者たちを気持ち良く酔わせるため、後輩社員らと量産した濃いめの焼酎割りを流通させる。

 料理は胡瓜と茗荷のたたき、鮪と鯛の刺身、茄子の鴨肉そぼろ餡かけ、和牛ステーキ、茶碗蒸し、鮨、自家製赤みそ味噌汁、アイスクリーム。

 正直なところ、おいしくない。量も盛り付けも味も貧相で安っぽい。一同も同じ感想を口にする。

「値段に見合ってない」

「チェーンの居酒屋で食べたほうがよっぽどうまい」

「有名な店なのに残念だなあ」

 飲み会恒例、後半になるとみんな席を移動しまくって滅茶苦茶になり、誰が手をつけた料理なのか、誰が使っていた箸や皿やグラスなのかわからなくなる。

「なあ、ちょっと聞いたんだけど、橋元って法政出てんだって?」

 先輩社員の青田さんが話しかけてくる。

「ええ、まあ、はい……」

「お前、地元こっちじゃないよな? 一般入試受けて合格したのか、すごいな。俺の息子、法政落ちちゃってなあ。残念だよ。去年の夏に、市ヶ谷の、オープンキャンパス? っていうのか? あれに行って、すごく気に入ったみたいで、頑張って目指してたんだけど、だめだったよ。結局他の大学に行ってるけど」

「今の大学入試ってぼくの頃とは比較にならないくらい激戦らしいですからね……。嫌味に聞こえたら申し訳ないんですが、どの大学に行くかより、そこで何をしてどう過ごすかのほうが余程大事だと思いますよ。息子さんに伝えてほしいのは、勉強はやってあたり前、加えて運動部に入れ、異性と誠実な関わりを持て、そして就活に死ぬ気で取り組めってことですかね。就活は大学の公務員志望者コースや予備校に入ったほうがいいですね。絶対公務員になるべきです。役所に勤めなくてはなりません。それ以外のことは考えてはいけない。それが真っ当な堅気の人間の正しい生き方であり、幸福な人生です。もしですよ、息子さんがこの会社に入りたいって言ったら、青田さんどうします?」

「絶対許さねえよ。学費返せって言うよ」

「そうですよね? ぼくもまったく同じことを親父に言われましたよ。でも今なら親父の言ってることよくわかります。仮にぼくに息子がいたとして、息子がこの会社で働きたいって言ったら、逮捕されようが知ったこっちゃない、ボコボコにブン殴ってやりますね。阿部慎之助なんてかわいいもんだってくらいにね」

 その後、誰々の息子は現役で国立大の医学部に受かった、誰々の娘は都庁の採用試験に受かったなど、トンビが鷹を産むというのは本当だったという話で盛り上がる。

 誰かの声量が大きくなると、互いの話が聞こえなくなるから全員の声が大きくなってうるさくなる。そんなさなかに、料理長が挨拶にやって来る。

「はい、静かに! 全員注目!」

「本日はご来店いただきまして誠にありがとうございます。ビールがお出しできず、申し訳ございませんでした。お料理はいかがでしたでしょうか?」

「おいしかったでーす!」

 全員が空元気で絶叫する。その後、一本締めで会は終了。会計後、料理長と仲居に見送られながら店を出る。

「物足りねえ。二軒目行くぞ! 飲み直しだ、オルグだ!」

「橋元、もちろん来るよな?」

「すみません、今日のところはお暇させていただきます……明日、映画を観に行くんです……」

「……は? 映画だと?」

「いいねえ、はしもっちゃん、何を観るの?」

「『オデュッセイア』ですよ……クリストファー・ノーラン最新作の……」

「俺も観ようと思ってたんだよ! 全編IMAXフィルムで撮影されたらしいねえ。たしかに、二日酔いで観て良い映画じゃないね」

「おい! 逃げんのか!?」

「……脱兎ォ!」

 十種影法術の掌印を繰り出して全力疾走し、その場を離脱、逃走を図る。

 しばらく走ったところで後方を振り返る。追っ手は来ない。

 帰路、スーパーに寄って買い物。帰宅後、入浴。軽く飲酒したのち就寝。

 

9月13日(日)

 夜、映画館にて、クリストファー・ノーラン監督最新作『オデュッセイア』をIMAXで鑑賞す。

映画『オデュッセイア』公式|9月11日(金)日本公開

 まずは売店にてパンフレットを買い求む。

物語の原典が’’今’’息を吹き返す。

2800年の時を超え、語り継がれてきた全ての物語の原点、「オデュッセイア」

映画史上初となる全編IMAX撮影によるかつてない映画体験。

「生きて還る。」

観るのではない。

あなたは、オデュッセウスの旅路を共に生きる者となる。

映画の可能性を究極まで押し広げた、世紀の映像叙事詩が幕を開ける。

 イントロダクションを読んだだけで100億点である。

 上映開始、マット・デイモン演じるオデュッセウスと共に絶叫、クライマックスは声を上げて号泣す。

 エンドロール後、場内に照明が戻ってもしばらく動けず茫然とする。

 前作『オッペンハイマー』からなぜ今オデュッセイアなのか? プロメテウスが人類に火を与え、オデュッセウスの智略によってゼウスの掟が破られて、誰も互いを信頼できず、もうこの連鎖は止められない、そして現代に至るまで人類は今なお殺し合ってるけど、さあ俺たちこれからどうすんの、というメッセージを受け取った。

「オデュッセイア」は、2800年にわたり語り継がれてきた物語です。故郷への思い、家族への愛、喪失や争いの痛み、そして本当に大切なものは何かという問い。それらを、現代の観客が全身で感じられる映画体験として立ち上げることが、私たちの挑戦でした。壮大な神話の果てにあるのは、いまを生きる私たちにも届く、人間の物語です。観客自身がオデュッセウスの旅を共に生きるような映画にしたい。

 ノーラン監督のコメントである。素晴らしい。

 フラフラと映画館を出て帰路に就く。帰還せねばならない。道中、キッチンオリジンの明かりを発見す。吸い寄せられるように入店。

「大丈夫だ、敵ではない。乱暴はしない。イタケーに帰る途中なのだ。食料を求めている」

 と心の中でつぶやく。割引された「のり弁」を購入。

 帰宅。王の帰還である。入浴したのち、パンフレットを読みながら購入した「のり弁」を食べ、フロンテラ・カベルネを飲む。ゼウスの掟に従って自らをもてなす!

 就寝。王の就寝である。「しかし、妻は? ペーネロペーはどこにいるのだ!」と絶叫するも独り。

 

9月15日(火)

 一年間の労働者互助会会計係の任期を終える。「簡単でいいから会計報告書を作って掲示してくれ」との要請があり、作成をGeminiに丸投げすることにする。

 入力した内容は厳重に保護されるとのことだが信用できないため、個人情報は伏せ、帳簿を参照しつつ収入と支出の金額だけを打ち込んでいく。PDFで出力された会計報告書は、文言にやや不自然な点があるものの、署名押印欄まで備えたなかなかの出来栄え。何点か修正してレイアウトを整える。近所のコンビニで印刷したものを掲示しておく。

「これお前が作ったの? 上手いもんだな」

「作ったのはAIです。こんなしょうもない雑務は丸投げです。余った時間は自分の本業のために使います」

「俺も使わせてもらおう。たしかに時間の無駄だよな」

 というようなやり取りを何人かとする。

 休憩時間、社食にてカツレツ定食を食べていると、特徴的な甲高い笑い声がこだまする。先輩社員の畦(あぜ)さんである。

「アヒャヒャヒャヒャヒャーッ! さすが橋元クン! ろくに仕事しない働くことが大嫌いな怠け者のクズに限ってメシだけはちゃんと食べるんだよね! ヒャッ!」

「ええ、ぼくはみなさんと違って常に頭を使っている高等な知的生命体なのでね。エネルギー補給が必要なんですよ」

「ヒャヒャヒャッヒャヒャヒャヒャーッ! いつも口を半開きにしてボーっとしながらケータイ触ってるけど、そのためにそんなにエネルギーが必要かい? ヒャーッ!」

 畦さんがホット缶コーヒー(ボス・ブラック無糖)をくれる。ありがたく貰う。

 賃労働を終え帰宅。激しい疲労を感ず。

 

9月20日(日)

 13年ぶりにツイキャス配信を決行す。Amazonベーシックマイクを使用。存外におもしろい。これからは誰も聞いていなくともスペース配信などを垂れ流すやもしれない。

 

9月30日(水)

 夜、練馬の格安ボロアパートの一室、万年床煎餅布団の上にあぐらをかいて座り、頭を抱えている。その男は18歳で故郷を離れこの地にやってきた。あと4年で20年の歳月が経つことになる。

 20年、生まれたばかりの赤子が成人して、酒を飲み煙草を吸い、公営ギャンブルにカネを賭けることが許されるようになるほどの年月だ。

 男は考える。そもそも自分は都会に出て大学なんぞに行く必要のある人間ではなかったのだと。故郷で土と戯れながら芋や茶を育て、魚を釣り、穴熊を狩って生活するほうが良かったのだと。

 都会にはこれだけ腐るほど人間がいるのに、男は誰からも愛されず、誰とも融和できず、わかり合えずにいる。だが、彼は良く闘った。何ひとつできなかったし、何も得られなかった。しかし、もう充分だ。あとは生きて還るだけだ。そう、叙事詩の彼も20年の死闘を経て故郷に帰ったのだ。

 故郷に英雄ノブッセウスの帰りを待つ者はいない。しかし彼は確信する。海が、大地が、あの火山が──、私を待っている。誰も私の帰郷を阻むことはできない! 神ですらも! Bringing it all. 帆を張れエウリュロコス! 航路を南にとれ! む……? ……なんだこの美しい声は? それにあの艶めかしい肉体は……? セイレーンだ! 誘惑を振りきれ! 肉欲に抗え! 俺たちに女は必要ない! だめだ喰い殺されるゥ! 耳に蝋を詰めろ! 目を覆って塞げ! 櫂を手に取れ! 漕げ! 漕ぐんだ! ついて来い、ぽまいら! 

「すべての海をおさめる神ポセイドーンよ。あなたの息子のただひとつの願いを聞きいれて、オデュッセウスとその部下たちが、けっして故郷のイタケーにたどりつけないようにしてください。しかし、彼がかずかずの罪をおかしたにもかかわらず、故郷の岸辺までたどりつけるようにするのが神々の意志でしたならば、どうかオデュッセウスが仲間の者をすべて失って、ただひとり帰っていくようにしてください。そして、家へ帰ってみれば、悲しみが彼を待ちかまえているようにしてください。」

 

バーバラ・レオニ・ピカード作『ホメーロスのオデュッセイア物語(上)』(高杉一郎訳、岩波少年文庫、2026年4刷)p.34

 

とある男の日記(ダイアリー)2026年8月編

nobugorodo.hatenablog.com

 

8月1日(土)

 午前、起床。体調、未だ完全には回復せず。日焼けあとは皮が剥け始めている。

 夕方、同い年の旧友に会うため地下鉄に乗って出かける。前日、誠に遺憾ながら会う予定をキャンセルさせてもらおうかとさえ逡巡していた。しかし、これは以前彼女も同意してくれたのだが、この年齢になると、どれだけ昔なじみの友人であろうと、多少無理やりにでも都合をつけて会おうとしないと、ずっと会えないまま徒(いたずら)に月日だけが経ってゆくことになる。

 最近流行りのガチ中華の店で待ち合わせ。店員も客もほとんど中国人で、入店すると同時に「你好」と挨拶されたため、こちらも「你好~」と返すと、続けて中国語で何やら質問される。「あ、すいません。予約してる──」と言うと、「(は? お前日本人かよ)」、みたいな表情。私は中国人から見ても中国人に見えるらしい。少し前、新宿で所要を済ませたついでに牛カツ屋で夕食を摂っていた際、唐突に中国人女性に中国語で道を尋ねられたことがある。つい先日も駅ホームのベンチに腰かけてぼんやり座っていたら、中国人女性に中国語で電車の行先について尋ねられたことがある。「あ~、えっとですね」と応じると、「(は? お前日本人かよ)」、みたいな表情。どちらもGoogle翻訳で対応した。中国語を勉強せよということか。

 毎回彼女の方が早く到着しているため、今回は約束の5分前くらいに店に入ったが、やはり既に席に座っている。

「悪い。ちょっと夏風邪気味で全然声が出なくて、聞きづらかったらごめん。声小さいでしょ?」

「全然そんなことないよ?」

 旧友は相変わらず麗しく尊くて良かった。郷里で購入したお土産を手渡す。豚みそ、高菜、塩辛、醤油、茶、豆・餅菓子など、郷土の安価な庶民の味ばかりなのだが、旧友は大層喜んでくれる。九州南部の食べ物や調味料は他の地域と隔絶された独特の味わいのため、口に合わない者には徹底的に合わないゆえ、嬉しい。彼女は「わかって」る。お返しにと、珍しい製法の日本酒を貰う。嬉しい。ありがたく痛飲させてもらう。

 青島ビール、ジンジャーエール、羊肉串焼き、豚肉カシューナッツ炒めを注文。

 旧友、「おいしいね」ともぐもぐ食べている。カワユス(ニチャア)。

 一皿の量が多く満腹となる。食後に菊花茶を飲む。このお茶、ポットに入れられた菊の花の見た目も美しく、味と香りも良く美味しかった。茶を飲みながら婚活の進捗を聞く。

「もうやめちゃった、婚活」

「なんで? どうして?」

「アプリはわりと治安良くて、話していて楽しいひとが多かったんだけど、いろんなひとと同時にやり取りするのは大変だし、なんとなく波長が合わないな~っていう感じがあって」

「波長、ねえ……」

「やっぱりプロフ欄に書いてある程度のことじゃ、そのひとの人となりはわからないよ。ブログとか、SNSで思いっきり自己開示してくれてると助かるんだけど……」

 私もブログやSNSで自己開示しているつもりなのだが、まだ足りないか、おそらく悪い方向へ作用しているのだろう。恥である。もう書くことなんかやめ……ませえん! やめないよ~ん! 死の瞬間まで駄文をひねり出し続けてやらあ! あらゆるどうでもいい文章がそのままの形で保存され、濾過されずに蓄積され、永久に劣化することなく後世に伝えられるのだ! フハハハ!

「ブログで思い出した! 橋元くん、わたしなんかのこと、ブログに書いてくれてありがとうね。でも、ちょっと訂正しなきゃいけないところがあって、わたしは相手の年収はまったく気にしないよ。年収なんか見てない。わたし自身が全然稼いでないのに、相手にそんなこと求めないよ」

 なぜそんなに自身を卑下するのか? 「わたしなんか」、彼女がそう口にした途端、そのかわいいお口にヌプクチュと舌をねじ込んだディープキスをカマしたくなる衝動に駆られる。

「ああ……そう言ってたね。ごめんごめん。それに、きみに確認取らずに勝手に書いて公開したのもまずかったな。いやでもさ、大前提として、ちょっと読めばわかると思うけど、あんなの全部ウソに決まってるだろ。徹頭徹尾、でっちあげの創作だよ。そのほうが読者にとっておもしろいだろうから。単なる読者サービス。本当にあんなこと思って書いてたとしたら、恥ずかしくてきみと向かい合って座ることなんてできない。別にきみのことなんか何とも思ってないよ。当然だろ」

「ええっ……? いやいや~、そんなことないでしょ……?」

 そうだ、もちろんそんなことはない。隠しても必ずボロが出るから、正直に言おう。彼女が素晴らしい女性であること、そしてその彼女に劣情を催したこと、彼女のことが好きであること、すべて事実だ。いや、劣情とは酷い言い方だ。優情を催したと言っておこう。現に、彼女が着ているノースリーブの黒いブラウスから覗く、白くて柔らかそうな肌──。彼女の肉体の訴求力──。嗚呼、我、欲情す。

 甘く勃起しながら、互いの仕事や近況について話す。が、店が混み始め、待ち客が出るまでになっており、申し訳ないので退店することにする。郷土のみやげの礼ということで彼女にご馳走になってしまう。申し出をありがたく頂戴する。

 場所を変えようということで喫茶店に向かう道中、彼女の長い艶やかな髪が揺れるたびにふわっと香る甘い香りに反応して熱く怒張したモノを隠すため、膝を曲げて腰を引きながら歩く。

「橋元くん、どこか痛いの? 大丈夫……?」

「……えっ? あっ、ああ……。痛いことは痛いね……。大丈夫……波があるんだ……込み上げてきたり、引っ込んだりね……」

「?」

 都会のオアシス、ルノアールに入る。彼女はアイスコーヒー、私はホットを頼む。座り心地の良い椅子、静謐な空間、窓の外には煌めくネオン。目の前には美しくて可愛い女性──、心が安らぐね……(ニチャア)。

 彼女に訊いておかなければならないことがある。コーヒーカップを手にしながら、平静を装いつつ切り出す。

「そういえば前会ったときに話した、部屋借りて二人で住もうって話、考えてくれた?」

 彼女は一瞬、眉をひそめて困惑し、そして大きく目を見開いて言い放った。

「……住まないよっ!」

「なんだよ、パートナーパートナーって連呼するわりに全然身軽じゃないな。きみ自身が一番気負ってるんじゃないの? 別に毎日じゃなくたっていい。週末だけ泊まって、あとはいつでもどこでも、好きなひとに会いに好きなところへ行けばいいだろ」

「泊まらないよっ! そんなことできない! わたしは一人のことしか好きになれないよ!」

「それはきみの思想・信条、倫理観によるものじゃなく?」

「そう! 一人に偏っちゃう」

「そうかよ」

 私の失望を察したのか、彼女はすぐに話題を変える。

「橋元くんはすごく結婚、法律婚にこだわってるよね。それはなんでなの?」

「たとえば、ぼくは独身だし稼ぎも少ないから、大した金額じゃないけど、死んだときの葬儀とか片付け費用くらいにはなるかと思って生命保険に入ってる。でもパートナーは受取人にはなれない。配偶者とか、血縁関係にある人じゃないと。パートナーを受取人に指定できる保険もあるけど、住民票や自治体のパートナーシップ証明書や戸籍謄本や生計同一関係を証明する資料なんかを提出しないといけない。書類を揃えて保険金を受け取っても、相続税の配偶者控除や非課税枠といった制度的特権は適用されない。保険金だけじゃない、毎月の所得税だって配偶者控除が使えないし、遺族年金だって法律上の婚姻関係にあれば自動的に受給権が発生するけど、そうでなければ年金機構に事細かに審査される。婚姻届一枚書いて出してればそんな手間は必要ない。全部カネの話になってしまうんだけど、世の中カネがなきゃ何もできやしないんだ。でも働いてカネを得るっていうのは大変だよね? まあ、きみは元気で朗らかで体力もあって、すごく人あたりも良くて機転が利いて、しっかりしてて、精神的に自立した頭の良い人間だから、そんなこと全然苦じゃないかもしれないし、人間関係良好でラクして稼げる仕事にいくらでもありつけるかもしれないけど、仮にそんな職を得ることができたとしても、カネに圧倒的余裕を持ちながら趣味として働くとか、社会参加のために働くっていうのと、生活のために必要に迫られてフルタイムで働くっていうのとじゃ、えらい違いだと思うんだよ。きみも知っての通り、ぼくは労働が大嫌いでね、働いたって良いことなんか何ひとつ無い、心にもない屈従を強いられるだけの、意に反した苦役であり憲法第18条違反だって考えの人間なんだ。大切なひとに大変な思いはしてほしくない。そういう思いをするのは自分だけでいい」

「……なんていうか……すごく……立派だね……」

 立派(りっぱ)か。ホールデン・コールフィールドが何よりも嫌った言葉だ。だが、私はもう大人になってしまったのだ。

「たしかに、子どもがほしいなら、結婚した方がいいとはわたしも思う。でも、そうじゃないなら、別にパートナーでいいと思うんだよね。もしかして橋元くんの周りって結婚してる人が多いの?」

「多いね。俺だけ完全に取り残されてるけど」

「わたしの周りって結婚してる人少なくて、独身の人も、結婚せずにパートナーがいる人も、結構なんとかなってて、楽しく生きてる人が多いんだよ。だから、わたしもなんとかなるんだろうなって思っちゃうというか……」

「現状にとどまっているのが良い、か。しかし、子どもを育てたいというきみの希望は? ぼくら来年35歳だぜ。〈35歳問題〉は目前だ」

「どうしたもんかねえ、難しいよねえ」

「お前に言われたくないって思われるの承知で言うよ、今は良くても10年後は、20年後は? そのとき後悔しない?」

「子どもがいない人生は、とても長いだろうな、とは……思う」

「じつは俺は未来から来た未来人なんだ。きみは未来でとても後悔している。歴史を修正するために今日はここに来た。詳しい話は禁則事項だから言えないけど」

「一体何を言い出すの……? 熱でもあるんじゃない……?」

 

 

 私は彼女越しに窓の外を見ていた。先ほどから視界に、チラチラと明滅する光が見えていたからだ。最初、街のネオンが発するものだと思っていたが、それは遠くの空で瞬いている稲光であった。ずっと眺めていると、突如私の内に雷が落ち、ある明晰な思想が、はっきりと、輪郭を伴って現れた。

 他の男たちより先に、彼女を妊娠させてしまえば良い──。

 いくら彼女が聖母マリアのごとき、慈悲深く慈愛に満ちた清く美しい女性であるとはいえ、大きな翼の生えた天使が受胎告知に舞い降りて、何もせずに妊娠するなんてことはあり得ない。私は大工ではないが曽祖父が大工だったのでセーフ判定とする。私が適任だろう。彼女が囚われているパートナー制とかいう生ぬるい幻想から、彼女を救い出さねばならない。

 オナンはその子孫が自分のものとならないのを知っていたので、兄に子孫を与えないように、兄嫁のところに入る度に子種を地面に流した。彼のしたことは主の意に反することであったので、彼もまた殺された。

 

『聖書 旧約聖書続編つき』「創世記」第38章9節、10節(新共同訳、日本聖書協会、2012年)

 

 村上龍『テニスボーイの憂鬱』(八五)は、『風の歌を聴け』の対極にあるような小説である。(中略)

 今までの妊娠小説がほとんど書かなかったことを書いてしまう。射精の瞬間、精液の排出される場所である。

 主人公の「テニスボーイ」は「膣外射精」を実行する者だったのだ。

 

 例①テニスボーイは吉野愛子の太腿に射精した。

 例②僅かに血管を透かした腱がヒクヒク震えるのを見ながらテニスボーイは本井可奈子の腹の上に射精する、

 例③床にひざまずいた本井可奈子の口の中にテニスボーイは射精したが、

 

(中略)

 執拗に繰り返される「膣外射精」の意味はけっして小さくない。このときわたしたちは、今までの妊娠小説は肝心なことを隠してきたのではないか、と気づかされるだろう。妊娠は精子と卵子の結合であること。性交一般ではなくたった一度の性交、正しくはたった一度の避妊の失敗の帰結であること。物語にとっては不要な精液、その着地点という余剰を示すことで、『テニスボーイの憂鬱』は妊娠をロマンチックな神話のレベルから解放する。

 楽しい受胎告知シーンは、サイパンのリゾートホテルのベッドの中だ。

 

 (本井可奈子は)テニスボーイを迎え入れて、二人が喘ぎだすと、中でいってもいいのよ、と言った。テニスボーイはまだ気付かずに、バカ、そんなことしたら二人のかわいいかわいい赤ちゃんができちゃうだろ? と笑った。すると、本井可奈子は/「もういるからいいのよ」/と言ったのだ。/テニスボーイは愕然として動きを止めた。本井可奈子の目を見る。/「ほんとか?」「そうなの」

 

〈中でいってもいいわよ〉という妊娠の意外なメリット(できちまったんだからもうそのままやってもいい)も、「膣外射精」という前提があってはじめて出てくる発想だろう。(中略)

『テニスボーイの憂鬱』の主人公は、[…]独善的な煩悶にくれるような男が多い妊娠小説のなかで、唯一「使える男」でもあることをつけ加えておこう。[…]考える無能ずぼらな男より考えない有能まめな男の方が使用価値が高い、という当然の事実にやっと気づいたのが、八〇年代男の子雑誌の、唯一にして最大の功績ではあったのだから。

 

斎藤美奈子『妊娠小説』(ちくま文庫、2008年9刷)p.104,106-109

 オナンは射精の直前に膣からペニスを引き抜いて精液を地にこぼしたことで神の怒りを買った。テニスボーイは正しい避妊の知識を持っていなかった、〈知識不足型〉避妊の結果、「ドロドロと無意味な女の血を流すばかり」の「次の子を望む女房」を差し置いて、「口や腹の上に出して避けてきた」はずの相手を妊娠させた。

 なんて馬鹿なやつらだ! 私は彼らの轍は踏まない、二の舞にはならない!

 私ならこうする。まず彼女の頭のてっぺんからつま先まで、衣服や下着を剥ぎ取りながら彼女の香りを堪能しつつ、丹念に舐め回す。そして彼女の秘部に顔を埋(うず)め、指で包皮を引っ張り上げながら、露出したクリトリスを吸い、舐め上げる。チュ……チュゾゾオオオオーッ! 彼女は紅潮し、深い吐息を漏らす。膣口から愛液が滴り落ちる。ああ、もったいない! 全部舐め取るからね……。プハーッ! おいちい♡ ちなみにこのヌルヌルとした成分……これはムチンといってね……オクラのヌルヌル成分と同じなんだ……。つまり彼女にクンニすることはオクラを食べることと同じ……。そうだ、いいことを思いついたぞ……彼女から貰った日本酒……これは彼女を肴にしながら頂くことにしよう……。彼女は酒の肴やつまみの類が大好きだけど、知らないだろうな……本当に旨い酒の肴は女(きみ)のカラダだってことを……。う~む、ちょうどいい塩梅で酒もすすむなあーッ! カァーーーーーーッ! たまんねえぜ! え……? 自分ばっかりずるいって……? 仕方ないなあ……ほうら……ここにあるだろう……いきり立ったソーセージが……これが本当のチン味……なんつっ亭! クヒヒヒヒッーーー!!! さて、互いにたっぷり酒肴を楽しんだところで〆といこうか……。まずは彼女を仰向けに寝かせて脚を開かせる……。そして熱く怒張したペニスを彼女の下腹部の上に乗せる……。彼女は小柄だから、先端は臍のあたりまで届くだろう……。ああ……これ……膣内(なか)に入れたらここまで届いちゃうねえ……そう言って彼女に直に確認させるのだ……。そして宣教師の体位で交わる……後背位(バック)は英語でDoggy styleといってね……あんなのは動物のやることだよ……。にゅるん! と挿入すると、どうだ、彼女は小柄なうえに、丹念なクンニによるオーガズムで子宮口は下りてきている……彼女の聖域に尿道口を「ぴとっ」とつけて接吻(キス)することは容易……。小柄な女の子は締まりも良くて……気持ちエッ! どちゅッ! どちゅッ!! 俺はオナンやテニスボーイとは違うぜえ! かわいいよ……大好きだよ……好きすぎてつらい……愛してるよ……! で、射精(で)るッ! 膣内(なか)に射精(だ)すぞッ! 全部受け止めてッ! 彼女に覆いかぶさってむぎゅっと強く抱きしめながら彼女の名前を絶叫し、彼女のかわいいお口にヌプクチュと舌をねじ込んだディープキスをカマしながら、黄ばんだ濃い精液を一滴残らず彼女の膣内(なか)に注ぎ込む! フヒィィィィ……♡ 固く目を閉じ、快感に悶えて喘ぐ彼女の耳元でこう囁く、「成し遂げられた」と。完璧だ──。

「避妊するのが愛の証し」の方が正しい、というのはむろん嘘である。愛していようがいまいが、子どもが欲しくなければ避妊する。それ以外の解はないだろう。避妊と「愛」を結びつけるのがそもそものまちがいだと思うのだけど、まあいいや。勝手にしてちょうだい。


斎藤美奈子『妊娠小説』(ちくま文庫、2008年9刷)p.269

 私は彼女を愛している。しかし彼女は私を愛していないし、これから先も愛することはない。だがそんなことは関係ない。彼女は子どもを欲しがっている、だから避妊しない。それだけのことだ。問題は解決だ。彼女は誰かの所有物じゃない。でも誰にも渡したくない。渡さないぞ。彼女の意志は関係ない。私の意志も関係ない。これは神の意志である。しかし彼女は罪を犯した。私を拒絶するという罪を。それは神に背くことと同義。彼女は神に背いたりはしない。彼女がそんな人間でないことはわかっている。彼女はただ恥ずかしがっているだけなのだ。そうだ、そうに違いない。私は彼女を許す。神も彼女を許してくださる。疲れただろう? 傷を負っているだろう? さあ、私のもとに来なさい。休ませてあげよう。

 結婚にこだわる理由、もう一つあった。私は自分を抑制できない人間なのだ。そういう人間は、情欲に身を焦がすより結婚した方がましなのだ。わかってくれるね?

 わかってくれないなら、勝手に婚姻届を出すね? ぼくは私文書偽造罪で逮捕されるけど、一度作成されてしまった戸籍は家庭裁判所で婚姻無効確認調停を経なければ修正できないよ? 当然ぼくは認めないから訴訟に移行する。彼女はマリッジブルー入っちゃってて、精神的に不安定になっているんですって主張するよ? 妄想状態に陥っているのはきみの方で、正常なのはこちらの側だっていう既成事実を積み上げるよ? これをチェーホフの短編作品に倣って「六号室作戦」と名付けるよ?

 そんなにぼくと交わるのが嫌なら、きみの〈周期〉を把握したうえで、『ドント・ブリーズ』の盲目の老人みたいに、きみを縛って吊るし上げて、ピペット使ってきみの中に注入せざるを得ないよ?

 それも叶わないならサキュバスと契約してぼくの精液を託し、インキュバスがきみの中に注ぎ込むことによって妊娠させるしかない。教えてくれてありがとうトマス・アクィナス。

 お互い、無駄にアレやコレをドロリッチするのはもうやめようじゃないか……。

 おや……? なんだ……? 私の名前を呼ぶ声がする……。

 

 

「……とくん! 橋元くん!!」

「……んあっ!? な、なんだよ、そんな大きい声出して……」

 彼女を見る。目は潤んで、恐怖と嫌悪に顔を歪め、わなわなと震える唇をぎゅっと噛んでいる。

「もう……! いつも変だけど今日はいつにも増して変だよ!」

「悪い、夏風邪気味だって言ったろ? しかし変だっていうのは心外だな……。すごく叡智なことを考えていただけさ……。ぼくは叡智なことを考えるのが好きでね……。きみも好きだろ? 叡智なことを考えるの……。機は熟した。そろそろ考えるだけじゃなくて、実際にぼくと一緒に叡智なことをしようじゃないか……」

「響きが怪しいよ!? 字が違うよね!? 大体何を考えてたかわかるよ……あのね、とても言いにくいんだけど、その、わたしに好意を持ってくれてることは嬉しいよ。嬉しいんだけどね、ほら、わたしたちって友達だよね……? すごく良好な関係だよね……? もしもだよ、橋元くんと一緒に住むとか、お泊まりなんかして、何かの間違いで、い、致したりなんかしちゃったらだよ? この良好な関係が壊れちゃうでしょ……? わたしはそれは嫌だよ……」

「やっぱり現状にとどまっているのが良いわけだ。わかってるよ」

「だから橋元くんは、これからもおもしろい文章を書き続けてね。わたしは読んでるからね? そしてまたお話ししよっ? ねっ?」

「わかった、わかったって」

 全然わかってねえけど。

 その後、彼女と色々な話をする。はてな株急落、かつおの塩辛はキャベツ炒めに乗せるとおいしい(アンチョビキャベツみたいな感じか)等。話が途切れると、つい彼女をじっと見つめてしまう。そのたびに彼女はにこっと笑って顔を傾ける。綺麗な長い髪が揺れる。

 私が、西村賢太はケンタッキーフライドチキンが大好物で、亡くなったときも鞄の中にケンタのチキンが入っていた、だが無頼作家としてのイメージを守るため『日乗』シリーズにはケンタッキーが一度も登場しないという記事を読んだことを話すと、「かわいいねえ~」と食いつく。

「か、かわいい……?」

「うん、かわいい。だっておうちに帰ってむしゃむしゃ食べるのを楽しみにして、大事に抱えてたんだよね。かわいい~」

 彼女がこれまで好きになった男性は、結果的に年上の人が多いらしい。なんだか彼女の萌えポイントがわかったような気がする。

 彼女は腕時計に目をやる。

「あ、橋元くん、わたし、そろそろ帰るね」

「……えっ? また帰るのかよ? たまにはもっとゆっくりし──」

「明日はね、午前中から農園の見学に行って、そのあと食事会をするっていうイベントがあるの。またね」

「あっ、えっ? ちょ、ちょ、ちょ、ちょ待っ──(なんだよその楽しそうなイベント)」

 喫茶店を出て、駅に向かって颯爽と歩く彼女について行く。私の使う路線の駅は反対方向だが、彼女と別れるのが惜しい、少しでも長く見ていたいという邪(よこしま)な気持ちからの蛮行である。

「あれ、橋元くん逆方向じゃ……」

 速攻でバレてしまう。

「あ? え? あー、このへん不慣れだからなあ。ま、まあ、懲りずにさ、また会ってよ」

「うんうん、またおしゃべりしよ!」

 彼女は都会の雑踏に紛れて、すぐに見えなくなる。

 地下鉄に乗って帰る。彼女のことを想う。俺の言うこと書くことは、そのほとんどが嘘と誇張で塗り固められたごみくずに過ぎない。でも、同じ時代を生き、これからも生き抜いていく、ぼくの数少ない旧知の友として、きみのことを大切に思っているということは、本当だよ。

 

 帰宅後、彼女に対して下劣な欲望を抱いた天罰か、夏風邪は悪化し、常備していた新ルルAゴールドDXαを飲むが気休めに終わる。その後、丸2日寝込む。彼女に移してしまっていたら申し訳ない。無事でいてほしい。

 

 

付記

 文章中、彼女に対する私の描写は過度に性的かつ過激で、卑劣で、不快感を催すものだ。これは失礼どころか、彼女の尊厳を傷つけ、侮辱するものである。暴力と言っていい。

 一応、「人物と会話をモデルにして書いても良いか」という確認は取っている(はず)。だが、書かれたらまずいこと、書いてほしくないことというのは当然誰しもある。これまでは、これは彼女だけに限らず、「このことは書かないでね」と当人が希望した事柄を記憶、またはメモしておいて、その記述を避けてきた。しかし、記憶は時間の経過と共に曖昧なものになるし、勘違いや漏れもある。そこで、今回は内容の過激さも考慮して、文章を公開する前に本人に原稿を確認してもらい、了承を得ることにしたのである。

 上記の8月1日の文章を読んだ彼女から送られてきたメールにはこう書かれていた。「読みました」「ちょっとあまりに性的な視線を向けられても困るというのが正直なところです」「明確に言っておきたいのだが、気持ちには応えられませんよ!」

 私は頭を抱えて猛省した。そりゃ、なんの前置きもなくあんなふうに書かれたら、誰であろうと困惑・動揺し、不安と恐怖、嫌悪と不快感しか覚えないよなと。

「好きに書いて下さい。どんな書かれ方をしても構いませんよ」と伝えました。「脳内での妄想をあれこれ書くから、書くことで傷つけることもあるだろうし、もちろん特定できないように、ある程度変えて書くつもりだけど、親しい人や同僚は誰だかわかってしまうかもしれない。葛山さんが大切にしている人達も傷つけるかもしれない。それでもいい? 訴えたりしない?」「大丈夫です。妄想は、うんと過激に書いて下さいよ!」

 

葛山久子「親愛なる西村さんへ」

西村賢太『雨滴は続く』(文春文庫、2024年)p.554

 本当はこれくらいのやり取りを、面と向かってしなくてはいけなかった。

 私は「きみを傷つけ、不快に思わせるかもしれないほどのエグい妄想を書いてもいいか」とは聞かなかったし、無論、彼女は「好きに書いて」とか「どんな書かれ方をしても構わない」とか「うんと過激に書いて」などとは一言も言っていない。私が前もってきちんと彼女に説明していれば、「いや、さすがにそれはやめてくれ」となったに違いない。そんなことに同意するわけがない。親しき仲にも礼儀あり。友人だろうと節度というものがあるのである。

 しかし、である。彼女は真剣に最後まで読んでくれた。なんと真面目で誠実なひとなんだと思った。常人なら怒って途中で読むのをやめるだろう。しかも、である。そのうえ彼女は「フィクションに対して事実修正するのは野暮だけど」としながら、数カ所の訂正のみで、そのまま掲載することを許可してくれたのである。私は驚愕し、そして尊敬の念を抱いた。やはり彼女は伊達ではない。不快にさせ、ひどく困惑させてしまったことを心から謝罪するとともに、掲載を許可してくれたことに深く感謝します。

 さて、私の読者諸氏から届くであろう御意見に対する回答を、あらかじめ述べておくことにしよう。

「なに誠実ブッて言い訳してんだよ? 妄想でもなんでもなくて、実際彼女に対して下劣な感情を抱いていたのは事実だろ?」

 私は男である。そんなのは当たり前だろう。それが人間の真実であり、本当の姿である。ただし、程度の差というのはある。書いているほど酷いものではない。

「彼女から完膚なきまでに拒絶され、フラれたことに対して防衛的になってるだけだろ?」

 まず言っておく。情けなければ情けないほど、惨めであればあるほど良いのだということを。

 高校生の時分、生物の教科書にアメーバとミカヅキモの写真が載っていた。それを見たクラスの友人に、「お前の写真が載ってるぞ。これお前だよな?」と言われるほどの単細胞である私にも、彼女が私に対してそんな気が毛頭ないこと、これから先もそんな気は起きないことくらいはすぐにわかる。そんなことは火を見るより明らかだ。それは彼女自身の口からも何度も言われて重々承知していることだ。

 ではなぜ会うのかというと、彼女の生き方や働き方など、人生に対する考え方や向き合い方といったものが、私と近しい点もあれば、全然違っていたりもして、話すたびに感銘を受けておもしろいからである。彼女が今後どういうふうに生きていくのかにも興味関心がある。大体、好きだの恋人だの、どうでもいい。人間関係というのはもっと豊かで複雑なものなのだ。

「そもそも書くなそんなこと」

 これはまったくもってその通りで、鋭い意見だ。しかし、梅崎春生が『モデル小説』に書いているように、そうはいかないところに文学の業みたいなものがあるのである。

 おそらく私はこの先、誰かに徹底的に嫌われ、恨まれ、縁を切られて絶交されることがあるのだろう。しかし覚悟はできている。書かないよりは書く方がましである。それはとんでもない過ちで、正すことのできない誤りで、いつの日か後悔することになるのかもしれないが。

 

 さて、以上がすべて私の妄想によって作り出された創作である。同い年の旧友である「彼女」など、実在しないファンシーであると何度言わせればわかるんだ?

 ……え? そういうところだぞって?

 返す言葉もありません……。

 

8月4日(火)

 体調は完全に回復、が、同時にバカンス終了。絶望感に打ちひしがれながら知覧茶を淹れて飲む。 

 私の読者はお気づきだろうが、私は必ずと言っていいほど毎日茶を淹れて飲んでいる。愛飲しているのは「おいしいお茶を入れましょう♪ お茶の葉たっぷり湯を注ぐ♪ 色合い味わいいい香り♪ ひと味違う知覧茶園の深むし茶♪」というCMソングで地元ではお馴染みの「仁田尾の知覧茶園」製の深むし茶「吟」である。価格と味と香りのバランスが良く、常飲に適している。

chirancha.jp

 毎日茶を淹れて飲んでいるのには、味が美味しい、カフェインですっきりする、茶カテキンによる各種健康・痩身効果があるという他にも理由がある。

 鹿児島には「茶いっぺ」という言葉がある。「お茶一杯」という鹿児島弁なのだが、この言葉には深い意味がある。「茶いっぺ飲んで行かんか(お茶でも一杯飲んで行きなさい)」などという使い方をするのだが、これは客人に対するもてなしの心、親睦を図りたい気持ちを表すことに加えて、お茶の一杯も飲む余裕もなく慌てて外出したり仕事に行くようではケガをするから、茶でも飲んで心を落ち着かせてから事に臨みなさいという、いにしえより薩摩の地に伝わりし警句でもあるのである。

 鹿児島の実家に帰省した際、飲まず食わずで外出しようとしたところ、母に「あんた、かごんまにゃ『茶いっぺ』ち言葉があっとを忘れんごとな。茶いっぺ飲んで行かんね(あなた、鹿児島には『茶いっぺ』という言葉があることを忘れないようにしなさい。お茶でも一杯飲んでから行きなさいよ)」と咎められ、踵を返して母が淹れてくれた知覧茶を飲み、高麗餅を食べてから外出したということがあった。

 以前、深夜から明け方にかけて、読書と執筆という崇高な「仕事」に没頭したために寝坊し、会社に大遅刻をカマしたことがある。会社からの鬼電で目が覚めたわけだが、慌ててはいけない。「慌」という漢字は心が荒れると書く。当然、まずは「茶いっぺ」である。茶を淹れて飲み、心を落ち着かせてから悠然と出勤する。じゃないとケガしちゃうからね。そして堂々と会社社屋に足を踏み入れる。

「遅刻なんて困りますよ橋元さん!」

「は? 俺がケガでもして来れなくなって、長期欠勤にでもなったとなりゃ、貴様らはもっと困るんだぞ! 来てやっただけでも感謝しろよコラァ!」と心置きなく罵倒する! 人生は開き直りが肝心だ! え? 何キレてんすか? パワハラ? それパワハラすか? 戒告の範疇逸脱してません? 社会通念上許容される指導の範疇逸脱してません? 法廷で会いましょう!

 というようなこともあったなと思い出しながら、地獄の暑さの中を出勤。ロッカールームに入ると、蓄音機とレコード収集家で喫茶店開業を目指している壮年の紳士、久瀬さんに会う。が、様子がおかしい。

「あっ、橋元さん! おかえりなさい! 出勤早々申し訳ないんですが、夏の賞与の支給額、もう確認しましたか?」

「ええ、見ましたが……それが何か?」

「少ないと思いませんでしたか?」

「ええ、まあ……。しかし、それは税金とか社会保険料とかいう上納金の引き上げのせいで、御上(おかみ)にたんまりブン取られてるからで……」

「それが違うんですよ橋元さん! ここに計算表がありますから、計算してみてください! 今すぐ!」

「え? ええ……」

 あまりの気迫に押され、その場で電卓を使って計算し、結果を確認する。

「さ、最低評価だと……!?」

「やっぱり! 橋元さんもですか!」

「なぜだ……? 無遅刻無欠勤で業務上のミスもクレームもゼロ件なのに……一体どうして……?」

「査定の評価基準が変わったらしいんです。いま酷い人員不足でしょう? それで、残業や休日出勤に協力的かどうかを見られてるみたいなんですよ。ほら、俺たちは仕事なんかより自分の時間を大事にする人間だから、最低限の業務だけこなして、あとは全部拒否してるでしょ、それが響いてるみたいなんです」

「殺す! 殺してやる!!」

 怒りのあまり錯乱絶叫しながら拳でロッカーの扉をドカドカ殴りつける。

「ヒャッ……ヒャヒャヒャヒャヒャヒャーーーーッ!!! 誰が暴れてるのかと思ったら橋元クンじゃないか! 久しぶり! 帰ってきたんだね!? 毎度のことだけど、みんなキミが向こうで仕事探して、もう戻って来ないんじゃないかってウワサしてたんだ! でもオレは信じていたよ! キミは九州の端っこで一生を終えるような男じゃないからね! キミは都会で常に抑圧に晒され、ストレスを抱えていなければいけない! 常に満たされず、不貞腐れていなければいけない! 実際、今みたいにブチギレてるときのキミ、見違えるように血色が良くなって、すこぶる輝いてるよ! 眩しいよ! アヒャヒャヒャヒャ!!」

 ひょいと顔を覗かせた先輩社員の畦(あぜ)さんに事情を話す。

「気持ちはわかるよ! でも、キミよりちょっとだけ人生の先輩だから言わせてもらうけど、会社組織は学校じゃないんだ、橋元クン。ここはゴミみたいな中小企業で、その吹き溜まりに集まってるのは最底辺のいい加減な人間の屑(クズ)が多いから忘れてしまいがちだけど、無遅刻無欠勤で業務上のミスもクレームもゼロ件なんて、そんなことできて当たり前なんだよ。厳しいこと言うようだけどね。査定にはABCDEの5段階あって、それぞれの枠には上限人数が設定されている。相対評価というやつだね。査定項目の点検リストなんてただの参考資料さ! 評価するのはあくまで人間だからね。同じくらいの成績の人がいた場合、仕事に協力的かどうか、態度が良いか悪いか、最終的には好きか嫌いかで差をつけるくらいしかないわけだよ!」

「いや、残業は義務じゃないですよね? 規定の業務はこなしてるんです。休日出勤にしたって、休日なんだから休むのは当然のことでしょう! わざわざ働きに来るほうが異常ってもんです! そんなところを査定対象にするのはおかしいでしょう!」

「そうだね、おかしいね、まったくもってキミの言う通りだよ。それで、現実はキミの言う通りになってるかい? なってないだろう、残念ながらね。変えてみせるかい? 限りなく不可能に近いだろうね。それに、もしオレが上司だったら、キミみたいな反抗的で生意気な偏屈クセ強(つよ)男には一顧だにせず問答無用で即最低評価をつけるね! 管理職には同情するよ! アヒャヒャヒャッ!」

 久瀬さんが神妙な面持ちで私に問う。

「橋元さん、悔しいのは俺も同じですけど、働き方、変えるおつもりですか……? A評価とE評価とでは支給額に数十万円の差があるみたいですけど……」

 冗談ではない。本を読んだり執筆したりする時間が無くなってしまう。

「要りませんよそんな端(はした)ガネ! ぼくたちの時間はそんな安い額で売り渡して良いものじゃないでしょう!」

「さすが橋元さん、絶対そう言うと思ってましたよ! 俺もお断りです。最低評価で大いに結構。若いかたと違って俺にはもう時間が無いんです。レコードも物件も全然見れていないんだ」

「カネなんてどうでもいい……会社が……奴らがぼくをどう見ているのか……ようくわかった……ぼくは根は真面目だから、ちゃんとやらねばと思って一生懸命やってきたつもりだったが……それも今日までだ……これからはそれ相応にやらせてもらう……やってられるかこんなこと……名誉を傷つけられたんだ……刀を抜く時が来た……刺し違える覚悟で……」

「ヒャヒャッヒャッヒャヒャヒャーーーッ!!! 心強いよ橋元クン! おふたりのような侍(さむらい)が生き残っていてくれて嬉しいですよオレは! オレは全然ダメだね! サラリーマン根性が骨の髄までしみ込んじゃってて、目の前にニンジンぶら下げられちゃ、脊髄反射で上のカオを窺(うかが)ってしまうからね! ヒャッ!」

 私は仏頂面で虚空を見つめ、口を半開きにしてブツブツ独り言をつぶやきながら、よろよろとロッカールームを出た。

「オイオイどこへ行くんだよ橋元クン!? 毎度のごとく完全にキマっちゃってるじゃないか!」

 この日、私の中で何かが音を立てて崩壊した。以後、出社時間は極限まで遅くなり、始業時刻のぎりぎりに舌打ちをしながら社屋に闖入、管理職を無視、休憩時間には茶を淹れて飲みながら、自宅から持ち込んだ本を机に並べて読み耽り、「ちょっと橋元さん! 休憩時間とっくに終わってますよ!」と呼び出しを喰らえば、「うるせえ! 仕事の邪魔すんじゃねえ!」と一蹴、「し、仕事って……」と返される有様である。

 誰からも認められない、不合格、不採用、不適格、そんなことにはもう慣れた。慣れきってしまった。私は笑わなくなった。笑顔はもう忘れた。私は鬼になる。

 

8月9日(日)

 午前、起床。先日スーパーで購入しておいたバナナを食べる。食後たまには気分を変えてみるかと、以前に中央アジア出張時のお土産として旧友から貰っていたイワンチャイを淹れて飲む。素晴らしい味と香り、そしてノンカフェイン。

 昼前、小学校時代からの旧友に会うため電車に乗って出かける。図々しくも旧友邸にお邪魔したうえに奥様手製の昼食まで頂くことになっている。旧友、駅まで迎えに来てくれる。

 旧友邸に上がり込み、郷里で購入したお土産を手渡す。お茶を淹れてもらい水分補給したのち、ビール(キリン・晴れ風)で乾杯。しばし歓談。

 旧友はここ半年間、アルコール性肝硬変のため先日亡くなった父君の看病や葬儀、父君宅の後始末(これには奥様も参戦したらしい)でかなり大変だった模様。私はてっきり晩年は完全禁酒に成功していたものと思っていたが、結局酒はやめられていなかったらしい。本人は最期まで自分が依存症であることを頑なに認めなかったそうで、まさに「否認の病気」であることを思い知らされる。

 旧友は「カネが無かったら詰む」と言っていた。病院側は慣れたもので、医療・福祉に関するあらゆる制度の紹介や手続きは迅速に行なってくれるものの、当然カネまでは出してはくれない。入院、介護施設への入居、業者に依頼しての賃貸住宅の後始末、葬儀等で計数百万円の出費を要したらしい。「介護保険とか使えるんじゃないの?」と聞いてみたが、等級や入居施設のグレードなどにもよるものの、それはあくまで割引みたいなもので、手出しの費用は発生してしまう、特養は順番待ちで入れないという。たしかに、私の祖母も、祖父の遺族年金があるからこそ比較的良い施設に入居できていると聞いた。旧友は幸い、父君の貯えで賄うことができたそうだが、もし仮に本人も家族も金銭的に余裕がない場合、誰かが引き取って面倒を見ざるを得ない。こうなるともう身動きが取れない。やはり持つべきものはカネである。

 旧友は日本の医療・福祉体制の充実ぶりとそれらの従事者に感心していたが、私は彼の話を聞き、この半年間奔走し続けた彼に感心した。私だったらここまで動ける自信が無い。彼の母君は本当に助かったことだろうと思う。加えて、これは大変に不謹慎かつ不適切な表現かもしれないが、父君が比較的あっさりと、ポックリ亡くなられたことは、良かったのではないか。酷い言い方だが父君が生き永らえ、父君の貯えも費消し、旧友にまで長期にわたる金銭的負担が発生するとともに病院への付き添いや施設への定期的面会という肉体的・精神的負担までのしかかるとなると、共倒れになってしまう危険がある。彼には彼の仕事と生活がある。彼には聞かなかったが、ほっと安堵した気持ちもあるのではないか。

 父君の最期にも感心した。本人とご家族の意向で延命治療はせず、病因は自業自得とはいえ、「俺は幸せだった」「後悔はない」と言い残して昏睡、この世を去ったという。

 死に際して、自分だったらそんなことが言えるだろうか? なかなか言えることではない。見事だと思った。

 通夜をやろうとしたらとんでもない数の人が参列することになり、収拾がつかなくなるから取りやめたという話を聞く。故人にはこの話を伝えられないことが悔やまれる。私の記憶の中の父君は、いつも気持ち良く酒に酔って赤ら顔で、にこにこ笑っている。その姿しか思い出せない。

 一息ついたところでふとリビングに目をやると、小型のワインセラーが置かれていることに気づく。前来た時こんなのあったっけ?

「わたしたち圧倒的ワイン党だから」と奥様。

 飲み物については、なんといってもワインである。カントは軽い赤ワイン、通常メドックを食卓で飲んだが、そのほか白のドイツ・ワインを愛用した。ゲーテは白のドイツ・ワインを、平均一日二本は飲んだといわれている。ワインと知的活動についてかなり詳しく観察したハマトンによれば、長期にわたるワインの飲用は、脳の細胞に独特の栄養を与え、その活動を老齢にいたるまで衰えさせないとのことである。

(中略)

 ワインは精神の働きを活発たらしめる傾向があり、ビールやエールはその反対の作用があるという。

 

渡部昇一『知的生活の方法』(講談社現代新書、2012年81刷)p.199-200

 最初にこの本を読んだ時、そんな馬鹿なと思ったのだが、旧友夫妻の日頃の精神的・知的生活態度や旺盛な知的創作活動を鑑みると、ハマトンの説はあながち迷信とは言い切れない、むしろ正しいのではないかとさえ思われてくる。

reskill.nikkei.com

 経営者のなかにも、ソフトバンクグループの孫正義会長兼社長やキヤノンの御手洗冨士夫会長、楽天の三木谷浩史社長、トヨタ自動車の張富士夫元社長ら、熱心なファンが多い。辣腕リーダーほど「ワイン党」が少なくない。

 

NIKKEIリスキリング

猪瀬聖『辣腕リーダーはなぜ「ワイン党」になるのか?』

 私もどうせ飲むなら積極的にワインを飲んだ方が良いのか?

 アメリカやポルトガル産ワインを数種類グラスに注いでもらってテイスティングを楽しんでいると、旧友と奥様の共同作業により食器が配置される。

夜のこと

夜のこと

  • 作者:pha
  • 扶桑社
Amazon

 僕は夫婦やカップルを見るのが好きだ。ある個性とある個性がくっつきあって、一つの共同体を形成している様子が興味深いからだ。それは、自分のことばかり考えている僕にはできないことだ。

 

「女友達」

pha(ファ)『夜のこと』(扶桑社、2020年)Kindle版

 

 私の厚かましいリクエストに応えていただき、奥様手製の和食コースを頂く。最初の一品は屋久島産あご(トビウオ)だしジュレ豆腐。滋味深いあごだしの味わいと香りが、スッキリと冷えた豆腐によって強調され、流し込むようにして完食。美味。

 そこにすかさず酒肴盛り合わせが到着。これを奥様が青森は八戸で買い求めたという日本酒で頂く。カーーーーーーーッ!!! 酒がすすむぜ! 鹿児島の甘い醤油「母ゆずり」が使われている品があるのも嬉しい。口に入れた瞬間に妙に「馴染む」なと思ったら奥様が教えてくれた。

 各種酒肴をじっくり楽しんだところで畳みかけるように天ぷら盛り合わせ。揚げたてのサックサクを塩で頂く。ハムッ、ハフハフッ!!! こんな旨い天ぷら人生で食べたことない、最高だ!

「わたしも揚げたて食べたい」と奥様が食卓に着き、一緒に食べる。

「毎月、ブログに書いてる『日記』、楽しみにしてます」

「いやー、そう言ってもらえると、嬉しいな……」

 嬉しいが、こんなもの楽しみにされてもですね……。

「俺もお前のブログ読んでるけど、あれってどこまで本当なんだ?」

「うーん、俺にもわからん。別の誰かが書いてる可能性もあるし、あまり真剣に受け取らないでほしい。わかるだろ? 俺がどれだけ無責任で適当人間か」

 食後にはスイカまで!? ひんやり冷たくて、甘い、甘くておいしい! 夢中で齧り付く。

 毎年夏に、祖母の家に親戚一同で集まっていた往時を思い出す。あの頃は祖母も伯父もみんな元気で生きていて、蚊取り線香を焚いた庭で肉や野菜を炭で焼いて、大人たちはビールを飲んで、私と兄は壜(ビン)のラムネをもらって飲んだっけ。夜には従姉妹たちとスイカ割り、宴の最後に花火をして、私たちの家族はそのまま泊まって、祖母に頭を撫でてもらいながら茶を飲んで夜更かししたっけ。次の日、祖母は家路に就く私たちの手を何度も名残惜しそうに握りしめて、クルマが見えなくなるまで、いつまでも手を振ってくれていたっけ。

 感傷にひたる私を見かねた旧友がウイスキーを差し出す。台湾の友人から貰ったというカバラン・ソリスト・ヴィーニョバリック・カスクストレングス。奥様がナッツを出してくださる。感涙。そしてこのウイスキー、旨すぎる。度数をまったく感じさせないまろやかさと鼻を抜ける芳醇な香り。ガブガブ飲んでしまい泥酔。自分の家と勘違いした私は居間のソファを占領して横になる。旧友と他愛ない会話をするが、内容はまったく思い出せない。旧友、飲みきれないからと、箱入りのカバラン・ソリスト・シェリーカスクをくれる。マジかよ。ありがたく頂戴する。

 奥様がお茶を淹れてくれる。お茶請けは「湯島花月かりんとう」。形が整っていて、糖蜜がぴかぴか光って綺麗。素朴で懐かしい味だが雑味なし。こんな高級なかりんとうは食べたことがない。

 飲み散らかしまくりの食い散らかしまくり、散々ご相伴に預かってお暇させてもらう。

「もう帰るの? もうちょっとゆっくりしていけばいいのに」と奥様からありがたいお言葉を頂くが、何か嫌な予感がしたため、後ろ髪を引かれる思いで帰路に就く。奥様から、お土産に「プリングルスたこ焼き味」「天下分け目関ケ原決戦前夜大垣でんすん堂明太子チーズえびせん」「どん兵衛西日本だし」「湯島花月かりんとう期間限定金魚浴衣Ver」を頂く。嬉しい、存分に堪能させてもらおう。旧友が駅まで案内してくれる。再会を約して別れる。

 帰宅後、凄まじい稲光と雷鳴、のち強雨。嫌な予感的中。シャワーを浴び、雨音を聞きながら万年床煎餅布団に横たわる。

 旧友夫妻、ふたりとも過酷で高度な仕事に従事しているから、メンタルと身体の具合には気をつけて、ずっと仲良く、元気でいてほしい。

 

8月10日(月)

 愛用のダイソン Digital Slim、故障す。トリガーを引いても「プゥ~ン」と間抜けな音を発するのみで作動しない。製品登録を確認すると、保証期間は数ヶ月前に切れている。ダイソンタイマー発動か。軽き怒りを覚える。ウェブサイトには「修理が必要な場合は、回収、修理、ご返却まで、72時間以内のサービスを目指しております」と書かれている。迅速な充実のサポート体制を津々浦々に構築しているということは、裏を返せばそれだけ故障が多いということの証明ではないのかと思ってしまうのだが。

 さっそくチャットで担当者とやり取りする。他モデルに割引価格での買い替えを打診されるが拒否する。修理の場合はモーターを丸ごと交換、1万3000円とのこと。高いのか安いのかはわからない。安価な掃除機であれば新品を買えてしまいそうだが、72時間サービスは本当か確かめてみたい気持ちもあり、依頼することにする。

「最後にご質問等ございますでしょうか?」との質問に、ヘッド部までの全体を送れとのことだが、ヘッド部には隙間ノズルなどのツールも含むのかと入力していると、「一定時間入力がなかったためチャットを終了します」と表示されて担当者との接続が切れ、強制終了となってしまう。

「まだ話は終わってねえぞコラァ!! どうなってんだよジェームズさんよお!!」と怒りのあまり拳でモニターを叩き割る。

 

8月11日(火)

 午前中、宅配業者がダイソンを引き取りに来る。チャットを強制終了された腹いせに、ホコリや糸くずが大量に絡まりまくったブラシツールも放り込んでおいた段ボール箱を手渡す。

 適当な段ボール箱を持っていない場合は、宅配業者がダイソン専用段ボール箱とガムテープを持参してくれて、その場で梱包するらしい。

 

8月14日(金)

 修理に出していたダイソン Digital Slim、返送さる。72時間サービスは本当だった。着払いで修理代金を宅配業者に支払う。

 サービスノートなる修理伝票には「モーターに不具合が見つかったため新品と交換いたしました。製品は簡易清掃を行ないご返却いたします」と書かれている。見てみると、腹いせに同梱したブラシツールもキレイになっている。やるじゃん。

 さっそくトリガーを引いてみる。うおおおお! ヒュンヒュン唸って気持ちがいいぜ!

 私は、ダイソンの掃除機というものは新しい物好きの俗物どもがよだれを垂らしながらこぞって買い求めるポンコツであるとして長らく懐疑的だったのだが、このDigital Slimは日本の住環境に合わせて開発したうえで日本市場向けに投入されており、使い勝手はすこぶる良い。過去最高の傑作機との評価を得ていることにも頷ける。引き続き愛用させてもらう。

 

8月31日(月)

 気がつけば月末である。高校時代からの旧友が「最近、毎日うっすらと体調が悪い」と言っていたのがよくわかる。私も肉体と精神が限界に近い。いつまで持つかわからない。俺は助からない。もうすべてがどうでもいい。暴発は目前である。

 カロリーメイト(メープル味)を食べ、知覧茶を淹れて飲む。身体が重い。気持ちも重い。あと何年これ繰り返せばいいんだクソがよ。会社辞めさせてくれよ頼むよ株式市場。最近お前も調子悪いけどよ。どうなってんだよ。植田総裁はジャクソンホール会議欠席するしよ。またあのウィットに富んだカッケー英語による質疑応答聞かせてくれよ。

 などとぶつくさ独り言を呟きながら出勤。賃労働はカス。

 休憩時間、かつてはコミケに毎回サークル参加し、副業としてプラモデル制作を請け負い、現在でもほぼすべてのマンガやアニメに目を通すオタクである山本さんと一緒になる。

「山本さんお疲れ様です! 今日は『キルケーの魔女』がアマプラで配信されますね」

「ええ、しかし橋元さん、ガンダム興味ないでしょう? ファーストも履修されてないみたいですし……」

「山本さん、東浩紀って知ってます?」

「ああ……『動物化するポストモダン』しか読んでませんが……」

「彼が番組で言ってたんですよ、ファーストは観なくていい、最悪逆シャアとハサウェイとキルケーの魔女だけ観ればガンダムを観たってことにしていい、と。本当ですか?」

「言ってることはわかりますが、やはりそれはファーストを観た人間だからこそ出てくる発言だと思います……」

「ところで今期のアニメはどうです? 先日友人とも話したんですが、見た目は冴えない中年男性がじつはすごい実力者で無双して、部下や後輩に慕われるとか重要な役職に抜擢されるとか、年下の女にちやほやされるような作品が多くないですか? 剣聖とか学院無双とか辺境領主様とかスーパーの裏でヤニ吸うとか。これはやっぱり主な視聴者層が中年男性だからでしょうか?」

「そうでしょうねえ……。若いひとは数自体も減ってるし、アニメなんて観ないでしょう。橋元さん、あなたハルヒ観てた頃中学生とか高校生だったでしょう? いまおいくつですか? そういうことです……。それに、私は氷河期世代ド真ん中ですが、私も含め、彼らは現実社会で徹底的に冷遇され、とことん報われていません。社会に重要な地位を占めてなんかいないし部下も持てない、当然女にモテるどころか相手にもされてこなかったわけです……。アニメの中でくらい夢を見させてほしい、そんな彼らの願望が投影されてるように思います。彼らの慰み物でしかない。私はあれらの作品を楽しく視聴するなんてことできません。背後に彼らの、私の姿が透けて見えてしまうんです……」

 山本さんは絶望的な溜め息をつき、手で顔を覆ってしまう。

「そういえば山本さん、コミケ行ったんですか?」

「もうそんな情熱も気力も体力もありませんよ……」

「昔は仲間と一緒に同人誌作ってサークル参加されてたんですよね?」

「ええ、でも人間は生きてると本当にいろんなことがありますから……。仲間割れ、この世を去る者、音信不通になった者……。個人でやってるならまだしも、仲間と一緒に参加し続けるっていうのは本当にすごいことだと思いますね。同人仲間だけじゃない、友人にも家族にも自分自身にも、本当にいろんなことが起きます。楽しいことや嬉しいこと、おめでたいことだけならいいんですけどね、そんなことばかりじゃない。むしろそうじゃないことのほうが多い。あなたにも、そのうちきっとわかる時が来ます……」

 

画家を志した祖父の青春時代

 はてなブログを執筆していると、はてな社から「ふりかえりメール」というメールが送られてくる。「1年以上の長きにわたってブログを継続いただいているユーザー様を対象に、 過去の同じ時期に投稿した記事を振り返るメールをお送りします。」という文章と共に、1年前に投稿した文章記事一覧が載っている。配信を希望しない設定も可能だが、そういえばこんなこと書いたっけなと振り返ることができるから、なかなかおもしろいサービスであると思う。

 

nobugorodo.hatenablog.com

 1年前に『祖父の戦争体験』と題した文章を書いていた。これははてな界のスター、黄金頭氏の文章に触発されて書いたものである。資料を基にした父方の祖父の従軍に関する内容が主で、その前後の人生についてはほとんど触れなかった。

 私の他に親族の誰も、家族史みたいなものに関心を抱いている者はいないと思われる。私が死ねばその記憶、この歴史は消え去るだろう。だから、その辺のことをここに書き残しておこうと思う。

 祖父は私の両親が結婚する前、父がまだ大学生であった時分に死んだから、私の母も祖父に会ったことがない。母は常々「一度会ってみたかった」と言っている。祖父の人生や人となりについてはそのほとんどを今は亡き伯父から聞かされた。私の父は男なら実業・産業に専念しろというタイプで、文学や物語、個の人生みたいなものに興味が無く、ゆえに祖父本人に訊いたこともなく、詳細までは知らなかった。父もその大部分を伯父から聞かされていた。

 

 ちなみに、私は「芸」を「藝」と書くが、これは格好をつけているわけではない。文藝評論家・小谷野敦の著書を読んで以来、こう書くようにしている。

 なお私は「芸術」ではなく「藝術」と書くが、これは「芸」というのが「ウン」と読む別の字だからである。

 

小谷野敦『「こころ」は本当に名作か 正直者の名作案内』(新潮新書、2009年)p.5

 

【藝術】

 私はこう書く。小西甚一『日本文藝史』(講談社)という、全五巻で五巻目がえらく分厚い本もあるが、「芸」という略字は本来、別の字で、「くさぎる」と読み、「ウン」が音である。云々のウンにくさかんむりがついたものであり、「耕耘機」のウンがウンなのも、右側がこの字だからである。

(中略)

 もっとも、「藝術」や「文藝」ならまだいいのだが、「藝能人」とか「藝者」とかになるとだんだん違和感を感じさせるようになるようである(これは重言である)。

 

小谷野敦『頭の悪い日本語』(新潮新書、2014年)p.202-203

 手許の『新漢語林』(大修館書店、2007年、初版4刷)によると、「もと藝と書き、芸+埶。音符の埶は藝の源字。くさぎるの意味の芸を付した。園芸技術の意味から、一般に、わざの意味を表すようになった。常用漢字は芸を用いる」とのことである。

「藝」とその源字である「埶」には、「植える」「種をまく」という字義があるのに対して、「芸」には「くさぎる」「草を刈る」という字義がある。まったく反対の意味を表す別の漢字なのである。

「芸」は本来「ウン」と読む漢字であって、「ゲイ」という読み方はないのだが、「藝」の略字として当用漢字に採用され、そのまま常用漢字に引き継がれて今日に至っている。

 というようなことを知ってしまった以上、私の中で「藝」と書かざるを得ない感じになっているのだが、こういう細かいことを言い出すときりがないし、そんなに深いこだわりはない。

 

 祖父は大正8年(1919年)、鹿児島県薩摩郡東水引村(現:薩摩川内市)に生まれた。曽祖父は畑でさつま芋を作る傍ら大工みたいな仕事をしていたらしく、川に架かっている橋を指さしては、「あい(あれ)はおい(俺)が架けた橋じゃっど」と孫である伯父によく自慢していたという。

 祖父は郷土の尋常高等小学校を卒業し、しばらく家業を手伝った後、画家を志して美術学校へ入るために単身列車に乗って東京へ出る。何歳くらいの頃のことなのか、はっきりとしたことはわからないが、おそらく16、17歳頃だと思われる。

 美術学校というのは東京美術学校のことで、現在の東京藝術大学の前身である。無謀である。東京美術学校の各科の本科(正規課程)入学試験を受けるためには、実技試験はもとより、旧制中学校または実業学校卒業以上の学歴、もしくは文部省が行なう「専門学校入学者検定(専検)」への合格が必要であり、祖父は、そもそも受験資格を満たしていなかった。選科(専門実技のみを修める課程)入学試験に関しても、本科入学者と同等の学力、または著しく優秀な実技能力を具えていることが必要であり、やはり祖父は受験資格を満たさなかった。

ja.wikipedia.org

 新幹線も旅客機も無い時代、鹿児島は遠国であった。関ヶ原の戦いの後、徳川家康からの再三にわたる出頭要請に対して、時の藩主・島津義久が「ご存じの通り、薩摩は遠国なので行けません」と返書、出頭を拒否し続けたことは有名である。時代が下っても、鹿児島はまだまだ遠国であった。向田邦子一家は保険会社に勤めていた父の転勤に伴って、丸一日以上をかけて東京から鹿児島へ赴いている。

 四十年前の鹿児島は、遠い国であった。

 東京から東海道線、山陽本線、鹿児島本線と乗りついで、二十八時間かかっている。日支事変が始まったすぐで、八幡製鉄所のそばを通過する時は、車内に憲兵が廻ってきて窓を閉めさせられたことを覚えている。

 それが、現在では、羽田から全日空で一時間四十五分の空の旅である。私は、四十年の歳月を、一時間四十五分で逆もどりしたような不思議な気分で鹿児島空港におり立った。

 

「鹿児島感傷旅行」

向田邦子『ベスト・エッセイ』(ちくま文庫、2025年21刷)p.220

 東京へ行くことは一大事である。インターネットも無い時代とはいえ、さすがに受験資格や入試要項すら知らずに裸一貫で上京するはずはない。おそらく祖父は、とにかく早く上京し、働きながら絵を描いて情報収集しつつ、専検を取ったうえでの本科入試挑戦や、実力勝負による選科への入学を目指していたのではないか。

 私は祖父が描いた絵を見たことがない。唯一見たことがあるのは祖父の揮毫による「忍耐」という達筆な書のみである。祖父は事あるごとに「忍耐が肝要だ」と言っていたそうだ。

 画家になることを諦めた後は仕事に忙しく、戦争もあってまったくと言っていいほど絵は描かなくなり、画家志望の青年期に描いて残されていた作品も戦中戦後の混乱等で消失してしまった。しかし、今は亡き伯父いわく、抜群に上手かったらしい。写実的な風景画や人物画を描いていたという。

 

 そういえば、私は絵が下手でどうしようもないのに対して、私の兄は絵が上手い。幼少の時分から、お絵かきなどしてみると、同じ人間、しかも兄弟なのにこうも違うのかと、その出来に愕然とさせられてきた。兄は中学まで熱心に街の風景や建物などの絵を描き、県や市から色々な賞を貰ったりしていたが、興味の対象は機械とか工学系に移り、ぱったりと描くことをやめてしまった。その後の進路も、機械とか工学を学べる学校に行き、そういった関係の職に就いている。

 両親や私が「もったいない」と言うと、「このくらい描けるやつなんて腐るほどいる」と吐き捨てた。「少しでも美術の道に進もうとは考えなかったの?」と私が聞くと、「お前マジで言ってる? 絵で飯が食えるわけないだろ」と、ひたすらに現実的だった。

 私の小学校からの友人に、絵やイラスト、漫画を描くことで生計を立てている、つまり職業にしてしまった者がいる。彼は美術とかデザインとかとは一切関係ない大学の、美術とかデザインとかとは一切関係ない文系学部を卒業した後、美術とかデザインとかとは一切関係ない仕事をする一般企業に就職してサラリーマン生活を送りながら描き続け、いつの間にかそれで生計が立てられるようになっていたという人物である。やはり彼も、小学生の時分から、周囲とは一線を画す圧倒的画力を有し、抜群の上手さだった。当時、エルジェの『タンタンの冒険』シリーズが流行しており、私も「めざすは月」や「月世界探険」が好きで読んでいた。彼はそのオマージュを創作していて、クラスの同級生たちと回し読みするほどおもしろかった。影響されて私も描いてみようと思い、コピー紙にドクターグリップのシャープペンシルで一生懸命描いてゆくのだが、そのあまりのお粗末ぶりに絶望し、深い溜め息と共に破り捨てたのだった。

 最近、ロバート・プロミン『こころは遺伝する DNAはいかに〈わたし〉を形づくるか(原題:「Blueprint How DNA Makes Us Who We Are」)』(田中文訳、河出書房新社、2026年)を読んだ。行動遺伝学の世界的権威が書いた本らしく、世界15ヵ国でベストセラーになっているという。本の帯にはこう書かれている。

「遺伝の影響は歳を重ねるごとに強まる。家庭も学校も、子どもの将来に違いを生まない。知能、性格、行動、疾患は、生まれた瞬間に予測できる──。」

 パーソナリティやメンタルヘルス、病気、学習能力や認知能力の個人差をもたらしている主要な要因は遺伝であり、DNAこそが「自分らしさ」の青写真なのだ。

(中略)

 親は重要だが、違いは生まない

 […]親が子どもの成りゆきに与える影響は、受精の瞬間に渡した遺伝子以外にはあまりないことになる。

(中略)

 それが、子育てについての遺伝学研究がもたらした衝撃的かつ深遠な発見である。

(中略)

 環境の影響は、長い目で見れば大した違いをもたらさない。[…]いずれにしても、だれもがいずれ、自分自身の遺伝的な軌道に戻っていくのである。

(中略)

 どの子も遺伝的な本来の自分をもっている。親はその子のもつ遺伝的な個性を認め、尊重したほうがいいのだ。

 いちばん重要なのは、親は大工でもなければ、庭師でもないということである。子育ては目的を達成する手段ではない。親子の関係は人生でいちばん長く続く関係のひとつであり、パートナーや友人との関係と同じく、子どもとの関係もまた、大切なのは一緒にいることであって、相手を変えようとすることではない。

(中略)

学校は重要だが、違いは生まない

 同じ原則は教育にもあてはまる。[…]学業成績の個人差は、子どもがどの学校に通っているかによって、どれほど左右されるのだろう? 先に答えをいってしまうと、ほとんど影響されない。

(中略)

 親から受け継いだDNA差異は、子どもの学業成績の個人差の半分以上を説明する。教育との関連で遺伝が語られることはめったにないが、実際には、遺伝は学業成績の個人差の最大のみなもとなのだ。

(中略)

 子どもの学業成績を変化させるという意味では、教師もやはり、大工や庭師ではないことを遺伝学研究は示している。[…]子どもたちが人生の一〇年以上を過ごす場所として、学校は生徒をサポートする場であったほうがいい。生徒が読み書きや計算などの基本的スキルを習得し、そしてまた、学ぶ喜びを知る場所であるべきだ。

(中略)

人生経験は重要だが、違いは生まない

 パートナーや子ども、友人との関係や、仕事や趣味などの人生経験は私たちにとって大切な意味をもつ。そうした経験は人生を生きる価値あるものにし、人生に意味をもたらす。

(中略)

 しかしそうした経験が私たちのパーソナリティやメンタルヘルス、認知能力といった心理的な「自分らしさ」を変えることはない。人生経験は重要であり、私たちに深い影響をおよぼす一方で、「自分らしさ」には違いを生まないのだ。

(中略)

 

 これらの発見から浮かび上がってくる全般的なメッセージは、他者に対して──そして自分に対して──寛容になろう、というものだ。うつ傾向や物覚えの悪さ、肥満といった理由で他者や自分を責めるのはやめて、そうした個人差には大きな遺伝的影響があることを認め、その影響を尊重すべきである。

(中略)

 人生におけるさまざまな系統的個人差のほとんどが、DNAの個人差によることを指摘したからといって、私はなにも、人が自分の弱点を克服しようと努力したり、なんらかの側面を改善しようと努力したりしても無駄だといっているわけではない。[…]遺伝子は運命ではない。あなたは変わることができる。しかし遺伝的影響があるということは、それらの問題をそもそも抱えやすい人がいること、そして、それらを克服することが他の人よりも難しい人がいることを意味している。

 

ロバート・プロミン『こころは遺伝する DNAはいかに〈わたし〉を形づくるか』(田中文訳、河出書房新社、2026年)p.134-136,139-141,142-144,145,147-149

 個人の能力は環境より遺伝に左右されるが、だからといって運命論に陥って悲観的になるのではなくて、むしろ活かせ、遺伝の「木目」に沿って生きろ、とする。

 本書では、このあと機会均等と能力主義についての章が続く。実際、「遺伝子くじ」に当たって、高い知能や身体能力に恵まれた遺伝的エリートは順当に高い学歴を得て、社会的・職業的地位の高い仕事に就いて高収入を得ていることは紛れもない事実であるが、ではハズレを引いてしまった者はどうするのか?

 著者は、社会的地位や職業、カネ、能力等を人生の成功の尺度とする価値体系を否定せよと説く。幸福で善良な人間であること、善く生きようとすることが大切。自分の遺伝的個性に合った仕事、働き方をするべき。介護福祉士も配管工も清掃員も警察官も、社会が必要とする大事な仕事。能力の有無にかかわらず、誰もが生活するのに充分な必要最低限のカネすら得られないなら、それは社会が悪いとする。

 良いことを言っている。が、もし著者が遺伝的に恵まれず、それらの職業に従事せざるを得ないような立場の人間だったとしても同じこと言えるのかというような気はする。

 また、親子は遺伝的に50%しか似ていないため、高い能力を持った両親からは、平均的には高い能力を持った子が生まれるが、あくまで平均であって、それを下回る子も生まれる。逆に天才は平均的な能力の親から生まれることも多い。ゆえに階層の固定は起きにくい、流動的であると考えるとする。

 さて、この本の内容が確かであるならば、私の絵はド下手くそだが兄の絵は上手いことにも頷ける。空間認識、把握能力や描画力なども、やはり遺伝によるところが大きいのではあるまいか。血を分けた兄弟であろうと遺伝的には50%しか似ていないのである。祖父の絵を描く能力は私には遺伝しなかったということだ。絵は才能ではなく練習、訓練だという意見もあるが、兄も小学校の友人もそんなトレーニングは経ていなかった。絵が描けたらおもしろかっただろうなと思う。

 なお、私が言う絵が描ける、上手い、下手というのは、藝術として優れているかどうかというのとは別の話である。

 同時代の画家でもルノアール(1841─1919)やドガ(1834─1917)は問題にならないくらい器用であり、はるかに上手な絵かきでした。アカデミックな技術の点では、セザンヌはやっぱり才能があるとは言えないのです。

(中略)

 セザンヌのほかにも、天才として、美術史上不動の地位をもっているゴッホ、ゴーギャンというような人たちが、同じ時代に出てきています。俗に後期印象派と言われていますが、この人たちになると、さらにはっきりしてきます。彼らはどっちも、まるっきりズブの素人絵かきです。

(中略)

 つまり十八世紀までは、絵がものすごくうまいことが絵かきになる絶対条件だった。ところが十九世紀の終わりごろになると、下手くそでも素人でも、真に芸術的な素質と感動があれば、りっぱな天才画家になれるようになりました。

(中略)

 二十世紀になって、はじめて、いわゆるうまい絵かきよりも彼らのほうが、はるかにすぐれた芸術家であると判断されるようになってきました。ここに近代美術の進展の偉大な意味があるのです(しかし、まだまだそれが十分にくつがえされてはいません。だからフランスにも日本にも、アカデミックな権威がはびこっています)。

 

岡本太郎『今日の芸術 時代を創造するものは誰か』(光文社知恵の森文庫、2012年28刷)p.136,140,142-143

 

 日本では求道家的な芸術家像が信奉されがちで人間国宝とか文化勲章作家が根強く支持されもしますが、過去の日本美術史で否定されてきた人物こそが、一流の芸術家なのかもしれないのです。

(中略)

 根強い慣習や因習をふりきれる衝撃や発見や現実味がなくては革命になりません。

 多くの人に受けいれられなければなしとげられない革命を促してゆくものこそが、真の芸術作品と呼べるのでしょう。

 あきらめずに新しい信念を形にするのがアーティストなのです。

 日本では、芸術家は、革命家とは思われていません。

 絵が上手。一芸を持つ。自分勝手。

 そういう芸術家像が日本の主流です。

(中略)

 歴史に残るのは、革命を起こした作品だけです。

 

村上隆『芸術起業論』(幻冬舎文庫、2018年)p.28,60-61

 絵が上手、すなわち写実的な描画力、デッサン力の有無高低と作品が持つ藝術性は関係がない。ないが、ド素人の私が思うに、圧倒的画力を有し、そのうえで、崩したと言えばいいのか、藝術的な表現をする方が、やはり説得力がある。ピカソは幼少期から天才的な画力を有し、描こうと思えばいくらでも上手い絵が描けるのに、あえてキュビって描いたがゆえに、凄いっすねえ、となるのである。

 習字を学ぶ際、毛筆でも硬筆でも、まずは楷書体から始めて、起筆・送筆・収筆といった基本的な筆遣いに習熟することが要求される。「うはwこの書体カッケーw」と思ったからといって、いきなり草書体や隷書体や篆書体を書こうとすると、基礎ができてないのにその書体は早すぎる、段階を踏みなさい、と窘められることと似ている。書の達人、藝術の域に到達した書家は一様に、楷書体が抜群に上手い。

 また、現在ではどうなのか知らないが、アカデミックな権威と技術というのも、祖父が美校を目指していた時代には現代よりずっと重要だったのではあるまいか。例えば私が珍妙な絵を描き、「法政大学法学部を卒業しました。藝術はまったく勉強してませんが、ぼくは才能ある生まれながらの天才藝術家なので、歴史に残る革命的作品を創りました」と言ったところで、仮にその作品が本当に現代アートの停滞と迷走を打破し、新時代を切り拓く革命的藝術作品であったとしても、今まさにこのブログに書いているつまらん駄文と私という人間自身と同じく、誰からも見向きもされない、一瞥すらされないことは明らかである。

 これがもし藝大を出ていたとすると、なに、あの藝大を出るほどにアカデミックな技術を有しながら藝術に心血を注いできたのか、どれ、ちょっと見てやるか、となるのである。

 

 話が逸れた。祖父の話に戻ろう。

 だが、田舎で、周囲の人間よりちょっと絵心があるというだけで入れるほど、東京美術学校は甘くない。

 芸術界の東大

 ところで、藝大が屈指の難関校であることをご存じだろうか。(中略)

 大学受験最難関の一つとして、東京大学の理科三類が知られている。各都道府県からトップクラスの秀才たちが集う場所だ。(中略)

 恐るべし理科三類。平成二十七年度の志願倍率が四・八倍、百の枠を約五百人が奪い合った。難関の名にふさわしい倍率と言えるだろう。

 対して藝大の最難関、絵画科の同年度の志願倍率はなんと……十七・九倍。八十の枠を、約千五百人が奪い合う。藝大全体でならした倍率でも七・五倍に達する。

 なお、昔は六十倍を超えたこともあったという。もはや入試ではなく顕微鏡の倍率である。

 藝大は「芸術界の東大」と言われているそうだが、むしろ東大を「学問界の藝大」と呼んでもいいのかもしれない。

 

二宮敦人『最後の秘境 東京藝大──天才たちのカオスな日常──』(新潮文庫、2021年13刷)p.51-52

 これは現代の東京藝術大学の話だが、その前身である東京美術学校時代の当時も、そこは将来の日本美術界を担う天才・奇才、美術のハイパーエリートたちが日本中から集まる超難関校であった。

 結局、祖父は東京美術学校に入学することができなかった。祖父と同い年で同学年の、東京美術学校を卒業した藝術家には、人間国宝・飯塚小玕斎や、抽象彫刻の先駆者・建畠覚造などがいる。もし祖父が美校入学と卒業に成功していたら、歴史に名を残す偉大な藝術家になっていたかもしれない。まあ仮にそうなっていた場合、私はこの世に生まれていないから、結果オーライである。私という天才ゲージュツカにしてブンガクシャがこの世に生まれ出でないなど、人類にとって極めて多大な損失であるからして? 悲劇であるからして?

 祖父が東京でどんな仕事に従事しつつ生活費を稼いでいたのかはわからない。だが、少しでも暇があれば絵を描いて、それを新宿駅付近の路上に並べて売っていたらしい。

 ある日、そこを通りかかった柔道整復師の男性が祖父に声をかけ、「お前は絵が上手いから、うちの接骨院に飾る人体図を描いてくれ」と依頼した。祖父は写実的な絵が得意であったから、その接骨院で施術の様子を見せてもらいながら人体図を描き上げた。そしてそのまま、その接骨院で助手・見習いとして働き始め、柔道整復師の資格を得た。

 ちなみに、上述の「祖父の戦争体験」という文章で参照した資料では、職名を「整骨師」と書いているが、現在は「整骨師」や「整骨院」という名称は俗称とされており、使用は推奨されていない。のだが、この呼称問題は昔から業界団体と厚労省の間でかなり揉めているらしく、未だ棚上げにされたままであるらしい。

ja.wikipedia.org

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 祖父はその後、昭和16年(1941年)、21歳で現役兵として陸軍に入隊している。これは明治6年に公布された徴兵令を全部改正した兵役法に基づく厳格な徴兵によるもので、当時男性は全員、原則として満20歳で徴兵検査を受け、翌年1月に軍に入隊し、2年間(海軍は3年間)の兵役に就くことになっていた。

 徴兵検査や入営は原則として本籍地に属する部隊で行なわれていたため、おそらく実家に緑色、または白色の入営通知書が届き、知らせを受けた祖父は兵役に就くために東京から鹿児島へ戻ったものと思われる。

 祖父は柔道整復師の資格を持って接骨院で働いていたためか衛生兵として従軍し、給水作業や療養所の開設、戦争末期には自活用の農場建設などにも従事している。銃を手に前線で戦うというような感じではなかったようだ。だからこそ生きて帰って来れたのかもしれない。

 復員した後は資格を活かして地元に接骨院を開業する。復員後の生活で祖父が苦しめられたのは戦地で覚えたタバコをやめることで、禁断症状が出ると畳表をむしり取って束ねたものに火を点けて吸うほどだったという。

 しばらく経ったある日、祖父の馴れ初めイベントが発生する。唐突に、女性(つまり祖母なわけだが)から手紙が届く。

 祖父と祖母は郷土の尋常高等小学校の同級生であった。祖母は小学校を出た後、妹と共に大阪へ出稼ぎに行っていた。この頃、鹿児島から大阪などの関西都市部に出た人は多いらしい。だから大阪には鹿児島にルーツを持つ人が多いと聞く。東京は遠すぎるから、行っても名古屋までだったという。東京は東北にルーツを持つ人が多い、私の体感だが。祖母の妹は大阪で結婚して奈良に住んでいた。たまに電話がかかってきて私も喋ったことがある。話す言語は完全な関西弁になっていて、「奈良のばあちゃん」と呼んでいた。

 祖父と祖母は単に同級生であっただけで、特に親しかったわけでもなかったようだ。

 祖母からの手紙には、「わたくしはまだ独身でおります」とだけ書かれていた。その言葉の意味を理解した祖父は、仕事を放り出して列車に飛び乗り、大阪にいる祖母へ会いに行き、そしてそのまま一緒に鹿児島に帰ってすぐに結婚する。

 祖母は4人の男子をもうけた。その四男が私の父である。当時は今のように接骨院が乱立していない時代で、祖父とその仕事を手伝う祖母は毎日忙しく、夜遅くに家に帰って朝早く出て行く生活であった。祖父は寡黙で真面目なひとだったらしい。対する祖母は快活なおしゃべり好きで、起きている間じゅうペラペラ喋りまくるのを、祖父は遺影に写る写真のように、いつも柔和な笑みを湛えて頷きながら聞いていたという。4人の息子のうち3人が法政大学に進学、卒業しており、菅義偉元総理いわく学費が安い時代であったとはいえ、3人を私立大学に入れられるくらいには繁盛していたようだ。

 祖父は晩年がんに侵されて痛みに苦しみながら60代で死んだ。私の父はそのとき法政大学に在学中で、葬儀のために一時帰郷するカネすら無く、兄弟(伯父)たちも世話になっていた阿佐ヶ谷にある小料理屋の女将さんにカネを借りて鹿児島に帰ったという。

 接骨院は長男である伯父が跡を継いだが、その伯父も亡くなり、今はもう閉業して存在しない。

 

 10年ほど前、空き家となっていた祖父母の家を解体した。私は仕事で行けなかったが、解体前に親族が集まって遺品整理を行なった。祖母のアクセサリー類や着物は形見として私の従姉たちが引き取った。

 納屋には、祖父が生前に買い集めた絵画や掛け軸、壺や茶碗などが大量に保管されていた。父も伯父たちもそれらがすべて贋物であることを疑わなかったが、「なんでも鑑定団」に出てくるお宝のように、万が一の可能性を考慮して、大学の先生や骨董商に鑑定を依頼し、来てもらったという。

「全部価値はないですね」

 鑑定団は早々に引き上げてしまった。父と伯父たちは、やっぱりなと笑った。

 しかし祖父は、贋物であることなど承知のうえで、それでも身銭を切って手許に置いて、それらを眺めていたのではないか。それは単なる美術愛好、骨董趣味に留まらない、自らの青春時代に抱いていた希望と情熱、果たせなかった理想を思い、自分の内に取り戻すための大事な時間だったのではないか。

平和と愚かさ

平和と愚かさ

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 平和は考えないことと関係しているだけでない。きっと忘れることとも関係している。ぼくたちは、なにも考えず、すべてを忘れているときに、おそらくはもっとも平和を感じることができる。

(中略)

 平和は詩でつくられる。詩は愚かだ。暴力的でもある。しかしその愚かさを失ってしまえば、ぼくたちは結局のところ永遠の戦いに閉じ込められるだけだろう。心の傷は、賢さではけっして癒されないからである。

 

東浩紀『平和と愚かさ』(ゲンロン、2025年)p.157,159

 1976年にNHKで放送が開始された美術番組『日曜美術館』を、祖父は毎回欠かさずビデオテープに録画して、じっと食い入るように何度も観ていたという。

 兵役の義務が無ければ、戦争が無ければ、祖父は鹿児島に帰らずに東京の接骨院で働きながら、東京美術学校に挑戦し続けただろうか。それはわからない。

 一度も会ったことがないのに、あの納屋の椅子に、周囲を美術品に取り囲まれながら腰かけて眺めている祖父の姿が、なぜかありありと私の目に浮かぶ。