TV版アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」第11話「静止した闇の中で」に関する短い考察

 テレビ版エヴァンゲリオン第11話は静と動、日常と非日常のコントラストが鮮やかに描かれているだけでなく、エヴァンゲリオン・サーガの核心に迫る要素が随所にちりばめられた稀有な回である。本論では第11話の中でも特に重要な場面を取り上げ、考察していく。

 オープニング後、朝刊を満載した新聞配達中のバイクと、笑い声をあげながら走り去る子どもが描写される。これらは、使徒が襲来していない間は第3新東京市に住む人々がごく平凡かつ平穏な日常生活を営んでいることを視聴者に印象付ける。

続いて青葉、赤城、伊吹の三人が、コインランドリーで洗濯をする場面では、これまで謎に包まれていた(葛城を除く)ネルフ職員の日常を垣間見ることができる。ネルフ職員の戦闘態勢時の緊迫感からは想像できないこの光景を描くことにより、彼らにありふれた生活感と現実感とを持たせることに成功している。

さて、ここで注意すべきは”洗濯”というワードである。第2話において、シンジに対して風呂に入るよう促す葛城の「風呂は命の洗濯よ」という台詞がある。この台詞から、伊吹の「せめて自分で洗濯できる時間くらい欲しい」という台詞は、「せめて自分で命の洗濯をできる時間くらい欲しい」という意味を言外に示していると考えられる。全話を通して入浴するシーンがしばしば挿入されることからも、日頃の束縛や苦悩、自身が抱えるトラウマから解放されたい、身も心もきれいさっぱりと洗い流してしまいたいと願う登場人物たちの心情が、この何気ない場面と台詞に隠されている。ちなみにこの伊吹のセリフは第18話のサブタイトル『命の選択を』を暗に示唆するものとも受け取ることが出来るであろう。しかし本論では第11話を中心に論ずるため詳述は避ける。

 次は洗濯を終えた三人がネルフ本部への道すがら、地下鉄車内で評議会へ向かう冬月と遭遇する場面である。ありふれた交通手段を用いることで、前述の通りネルフ職員たちに生活感を持たせると共に、地下要塞都市を建設するほどに高度な科学技術を保有しているにも関わらず、我々がいつも利用しているものと何ら変わりない地下鉄を登場させることでシュールな光景を醸し出している。現実と虚構が付かず離れずのちょうど良い距離を保っているのがヱヴァの特徴である。

ここで、冬月から重要な事実が述べられる。地上の市政は事実上3台のスーパーコンピューター「MAGI」によって行われていると言うのである。これまで第6話『決戦、第3新東京市』で葛城が提唱したヤシマ作戦に対して「賛成2、条件付賛成1」と回答しているように、3台存在することが示唆されていたが、ここで断定される。冬月が全館の生命維持に優先してセントラルドグマとともに保護している点から、非常に重要視されていることがわかる。なお、ネルフ本部においては、最終的な意思決定は人間によって行われるため、地上の市政より慎重な運用がなされており、人間の直観を評価する姿勢も存在すると思われる。

 次に、シンジが進路相談の面接がある旨をゲンドウに電話で伝える場面である。彼の言葉はたどたどしく、右手を握ったり緩めたりする癖が出ていることから、ゲンドウに対して緊張していることは明らかだが、一方でひょっとすると面接に来てくれるかもしれないことを期待している、だからこそ電話を掛けたのである。しかしゲンドウは「そういった事は葛城君に一任してある、下らないことで電話をするな」と冷たくあしらう。このような碇親子のぎこちない、時に怒りを伴いもするやり取りは全話を通して見られるが、それはほとんどがネルフにおける職務上の話であり、シンジの私事に関して二人が会話をするのは非常に珍しいのである。ゲンドウの対応は息子を忌避していると言っても過言では無い。『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』(以下、旧劇場版)においてユイがゲンドウに対して「シンジが怖かったのね?」と発言する理由の一つがここに隠されていると思われる。

 そして、いよいよ旧劇場版ともリンクする最重要場面である。ネルフが電源を完全に喪失した原因は人為的なものであり、その目的は恐らくジオフロントフロント内部及びネルフ本部の調査であることがゲンドウの口から語られる。これは、ゼーレのゼーレによる人類補完計画発動のための布石であると考えられる。また、冬月が本部初の被害が使徒ではなく人間の手によるものであることを述べた後、「所詮、人間の敵は人間だよ」と碇が発言する。これらは第18使徒がリリン、すなわち人間であり、旧劇場版で人類補完計画発動のためにネルフ本部に侵攻、これを壊滅させるのが人間であることを示す伏線である。冬月がゲンドウに放った「ぬるいな」という台詞は、単にコメディ・レリーフの効果を狙ったものでも、電源の喪失で空調が停止したことによる室温の上昇から出たものではない。ゼーレが本気になればこの程度では済まされないことを知っているからこその発言である。旧劇場版での殺戮劇を見れば、冬月の発言の真の意味をくみ取ることは容易である。

 さて、第11話で重要な場面は全て取り上げた。もちろん、第11話以降にも多くの謎が明らかになってゆくが、物語は徐々にダークな雰囲気を帯び始め、登場人物たちの病的な側面に注目し、一層精神性を増してゆく。TV版前半に見られる日常生活の描写やコメディタッチな演出は鳴りを潜めてゆく。そうした、大団円に向けてのTV版前半との決別、旧劇場版含めエヴァンゲリオン・サーガの核心に触れる第11話は、エヴァを理解しようとするためには欠かせない回なのである。

 

 2012年1月11日