島沢優子『桜宮高校バスケット部体罰事件の真実』について

 2014年12月5日に発売された『桜宮高校バスケット部体罰事件の真実』という本を読んだ。著者は筑波大の体育科出身で在学中はバスケの選手をし、卒業後は日刊スポーツの記者となり、現在はフリーライターの島沢優子という人物である。

 桜宮高校の暴力事件に関するノンフィクション、ルポタージュは今のところこの一冊しか出ていないようであるので、事件を知るための貴重な資料である。

 本書は全体を通して鉤括弧を用い会話文を挿入する小説のような形式で事件を追う流れとなっており、読者の感情に訴える構成となっているので、書かれていることが「事実」なのか著者の「意見」なのかを注意しながら読む必要がある。しかし、少年が追い詰められていく過程や自殺後の遺族の労苦は本当に心が痛む。大切なご子息を亡くされた遺族の方の心痛は察するに余りある。

 著者は「顧問ひとりに責任を押しつけスケープゴートにして終わるのでは、何の解決にもならない」として様々な観点から教育現場における体罰の解決法を検討しているが、私はすべて顧問が悪いに決まっていると思う。バスケ部顧問の暴力体育教師、小村基(こむら はじめ)が少年の顔を腫れあがるまで殴るなどの暴行を加えていたせいで少年は自殺したのである。この顧問は事件から2か月後に紙粘土でバスケ選手を模った像を持って遺族の元に現れ、「これを仏壇に供えて欲しい」と言ったそうである。

 外部の監察チームが、少年が自殺した外的要因を4つ挙げている。1:顧問の理不尽な論理、2:顧問の性急な体罰、3:短期間に心理的に揺さぶられたこと、4:ハードな部活生活である。大体どれも顧問が原因である。

 ところで本書ではこの後、文教大学教育学部特別支援教育専修教授で小児心理医でもあるという成田奈緒子という学者の見解が紹介される。睡眠不足だとセロトニンが分泌されず悪い方向へ行く、そういう生活をさせていることに顧問は気づかなくてはいけなかった、と言う。それはそうだが顧問は極悪人なのであり、気づく気づかないという問題ではない。そして最も引っ掛かったのが「中・高生は、親に言えない悩みを仲間とわかち合いながら成長していくのが、思春期のあるべき姿」という指摘である。確かに少年が所属していた男子バスケ部員らは少年の葬式で笑う、遺族への情報提供を断る、SNSを止めず写真を共有する、一周忌にも来ないという屑揃いであって、少年が良き仲間に恵まれなかったというのは本当だろう。しかし、「中・高生は、親に言えない悩みを仲間とわかち合いながら成長していくのが、思春期のあるべき姿」というのはどういうことか。成田奈緒子とかいう学者は、思春期に対して何か幻想を抱いているのではないか。確かに、親に言えない悩みを仲間とわかち合いながら成長していく中・高生はいるだろうし、そもそも仲間などいないまま過ごす中・高生もいるだろう。それは事実としてあるだろう。しかし、それが「思春期のあるべき姿」かどうかというのを、決めることはできないだろう。仲間がいない奴はだめなのか。こういう決めつけは危険ではないか。