「VAT 69」 川端康成も飲んでいた(と思われる)スコッチウイスキー

 『バンド・オブ・ブラザース』(原題: Band of Brothers):2001年製作、というテレビドラマがある。私はこの作品が大好きでブルーレイボックスまで買ってしまった。

 劇中で印象的だったのが、酒好きのニクソン大尉が大隊に隠れて飲んでいたVAT 69という名のスコッチウイスキーである。ウインターズ少佐に「ヴァット69しか飲まないのか?」と冷やかされる場面は名シーンである。この酒をきらしたニクソンは夜中に薬局のガラスをぶち破って略奪を試みる凶行に出る。

 今日YouTubeをサーフィンしていたら、川端康成の記録映像があったので何気なく見ていたら見覚えのあるボトルが目に入った。

www.youtube.com

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 川端が自殺した部屋のテーブルの上にVAT 69がある。普段から愛飲していたのかは不明。

 ちなみに現在はボトルの形が変更されている。ホワイトホースしかり今は太い形は好まれないのだろうか。

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 私も買って飲んだことがあるが、とにかくゴクゴク飲める癖のないウイスキーである。価格も1000円くらいで高くない。

宮崎駿が現在吸っているタバコの銘柄について

 宮崎駿の映画制作を特集した番組等を見ていると、宮崎が白いエプロンにタバコを咥えている姿がよく映っている。長年チェリーを愛飲していたようだが、東日本大震災を機に販売終了となっていて、それからは何の銘柄を吸っているのだろうと気になっていた。

 『風立ちぬ』を制作中のスタジオジブリに密着したドキュメンタリー映画夢と狂気の王国』(2013年、脚本・監督:砂田麻美)を見てみると、やはり宮崎は白いエプロンにタバコを咥えていた。フィルターの色は白色で、銀色の印刷が施されているところを見るにセブンスターあたりかと思ったが、宮崎は外箱から自分の煙草入れに移し替えて懐に仕舞っており、確証が得られなかった。

 そのまま視聴を続けていると、あった。一瞬だけタバコの外箱が映るシーンが。

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宮崎の作業机を映したシーン。

 宮崎駿が吸っているタバコの銘柄はセブンスターである(2013年時)。

西伊豆旅行記

8月某日、大学以来の友人二人に誘われ、急遽西伊豆旅行へ出かけた。

早朝東京駅に集合し、東海道線で一路沼津まで2時間半、沼津からはレンタ・カーを借りた。車種はスズキ・スイフトであった。ボタンスタート式の車に乗ったことがなかったため、勝手がわからず戸惑った。ブレーキを踏んでボタンを押すことでエンジンがかかると同時にハンドルロックも解除されることがわかってからは難なく運転することができた。

沼津から修善寺へ向かい、有名だという禅寺(ぜんでら)そばを食したのち、西伊豆スカイラインを通って黄金岬へと向かう。西伊豆スカイラインの道中、参道の頂上付近に平和寺という新興宗教の施設があった。仏像が立ち並ぶ一角に「〇〇法〇〇条〇〇項により〇〇〇〇の立ち入りを禁ず」という旨のペンキで書かれた看板を見る。

黄金岬で「馬ロック」なる馬の頭部のように見える岩を見る。三島由紀夫の文学碑が建立されていたが父親の揮毫によるものであった。

堂ヶ島のホテルに泊まる。ちょうど夕日が沈む持間で絶景。露天風呂に入る。風呂上りに牛乳を飲む。素泊まりのため夕食を食べに松崎町の料理屋へ行く。金目鯛の刺身やクロムツの煮つけを食べる。ホテルに買える道中、地元のスーパー・マーケットで酒や朝食を購う。私はまた露天風呂に入る。私の他入浴客はいなかった。部屋に戻って酒盛りをする。

明朝、ホテルを出る。朝風呂に入った友人が猪に追いかけられた話を聞き、その姿を想像して笑う。

堂ヶ島加山雄三ミューヂアムから出る遊覧船に乗る予定が強風のため欠航となる。徒歩で洞窟を見る。土産物を購う。

海沿いを石廊崎へ向かう。石廊崎は駐車場から徒歩で上り坂を歩く。日光を遮るものが何もなく大量に発汗し日焼けをする。コンビニで購ったシー・ブリーズを体中に振り掛ける。石廊崎灯台の先にまだ道が続いており、先には神社がある。縁結びの神として有名らしい。岬の断崖は絶景。しばし眺める。

下田へ向かう。下田公園からペリーロードを歩く。ペリーが上陸した際の応接の場として、また条約締結の場、アメリカ軍調練の場として使用された了仙寺へ行く。近くにある黒船記念館へ行く。友人らは興味がないというので私だけ入る。ペリー艦隊が下田へ入港した際の教科書にも載っている有名な絵などを見る。当時の人々に思いを馳せる。

雰囲気のある喫茶店で友人と合流し昼食を食べに道の駅へ行く。金目鯛の海鮮丼を食べる。

414号線で天城峠を越える。伊豆の踊子の舞台となった場所で、多くの文人が訪れ滞在したことも頷ける美しい風景があった。道の駅天城越えでワサビソフトクリィムを食べる。三島駅で車を返却し、東海道線で東京へ戻る。

美しく、食い物も美味い。また行きたいと思った良い旅だった。

報復

前職の会社の先輩と酒を飲みに行く機会があった。   

先輩の話によると、営業部の支店長が2名も退職してしまったという。Kは精神を破壊されて突然出社しなくなり半ば失踪、Tは同業他社のK社に移ってしまったという。

Tは退職を申し出る際に同業他社への転職は伏せ、「何も決まっていない。しばらくは仕事から離れてゆっくりしたい」と告げた。

Tが退職した後、彼が担当していた顧客からの発注が突然軒並み無くなってしまい、異変を察知した上層部が調査したところ、彼がK社に転職したことが判明したという。

激怒した上層部は、営業部員全員にTとK社への報復措置を命じた。その内容は、朝一番に営業車でK社の前に乗りつけ監視、Tが社から出た所を車や徒歩で一日中尾行し取引先を把握、奪還すると共にTとK社に心理的圧力をかけるという嫌がらせだった。

営業部社員はこれを毎日交代で行っているというのである。

私は本当に前の会社を辞めてよかった。今でも在籍していたら手取り18万で探偵業務までこなさねばならぬところであった。

祖父について

訳あって2週間ほど鹿児島に滞在していた。

私は自分の家族や親類についてあまり書きたくない。私以外の者にとって興味も関係もないことである。これはただ私の心情を、感傷的な心情を書きとめた走り書きに過ぎない。

父方の祖父母は他界している。誰も住まなくなった木造家屋は老朽化著しく、取り壊されていた。家に残されていた物は整理したらしい。その中に、太平洋戦争に従軍した地元の元兵士たちが作った軍人会なる組織が出版した『軍魂』という、広辞苑並みの分厚い本があった。ページをめくると軍服を着た昭和天皇の写真や、金紙に菊の御紋がしるされたページの後に、軍人会の元兵士たちの名前と経歴、軍歴が書かれたページが続く。祖父の名前もあって、読んでみると「画家を志して美術学校入学のため上京するも果たせず、折しも大東亜戦争開戦により徴兵さる」云々とあった。

祖父は私が生まれる前に死んだ。祖父と今会って話がしてみたいと思った。私と同じ青年期に東京のどこで何をしていて、自らの人生にいかなる展望を抱いていたのか。どんなものを食べ、どんな女と何を話していたのだろう。それともたった一人孤独に物思いにふけっていたのだろうか。

画家になりたくて東京へ行くなんてことは、あの時代には一大事だったはずだ。

祖父と会って、話がしてみたいと思った。